リジューの聖テレーズ(テレジア)の聖遺物を封入した布製小袋。テレーズの実姉たちをはじめ、テレーズの列聖を願う修道女が手作業で作った品物です。
小袋の一方の面には、次の言葉がフランス語で記されています。 | ||||
Étoffe ayant touché à la servante de Dieu Thérèse de l'Enfant-Jésus, morte en odeur de sainteté au Carmel de Lisieux le 30 septembre 1897, à l'âge de 24 ans. | 1897年9月30日、リジューのカルメル会にて、聖性の香りのうちに24歳で亡くなった神の婢(はしため)、幼きイエズスのテレジアに触れた布地 |
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小袋のもう一方の面には、楕円の帯に囲まれた盾形の紋章を配します。楕円の帯には、次の言葉がラテン語で書かれています。 | ||||
SIGILLUM REVERENDISSIMI ROGERII DE TEIL VICE POSTULATORIS | 列福副請願者ロジェ・ド・テーユ司教の印 |
本品の布に刷られた文字は長い歳月のうちにかすれて判読しがたくなっていますが、資料に基づいて叙上の解読が可能です。
テレーズは自叙伝「リストワール・デュ・ナーム」("l'Histoire d'une Âme" ある魂の物語)を遺しましたが、聖女の執り成しによる奇蹟的恩寵の一覧が、1907年にこの自叙伝に付加され、さらに新たな恩寵の報告が、翌年以降も相次ぎました。この結果、教会当局はテレーズ列福に向けた調査の開始を承認し、ローマの跣足カルメル修道会の神父ロドリグ・ド・サン=フランソワ・ド・ポール師
(Le R. P. Rodrigue de Saint-François de Paule) を請願者、パリのロジェ・ド・テーユ師 (Mgr.
Roger de Teil, 1848 - 1922) を副請願者として、運動が始まりました。ロジェ・ド・テーユ師は当時ローマ教皇庁付の司教で、後に子供宣教会(仏
l'Œuvre de la Sainte-Enfance)の総長となる人です。
本品はおよそ百年前にリジューのカルメル会修道院で制作されたもので、テレーズの聖遺物としては最初期に属します。布袋の文字も、後の時代のものであれば単に「幼きイエズスの聖テレジアに触れた布地」とだけ書かれますが、本品では「1897年9月30日、リジューのカルメル会にて、聖性の香りのうちに24歳で亡くなった神の婢(はしため)、幼きイエズスのテレジアに触れた布地」と説明的になっており、聖女を慕う人々の、テレーズの功徳を宣布して列福を実現させたいという熱意を感じさせます。
もう一方の面も、後の時代の類品ではカルメル会の紋章が描かれますが、本品ではフランスにおける列福請願の中心人物、ド・テーユ師の紋章となっています。
本品は小袋にも閉じ糸にも破損は無く、良好な保存状態です。特筆すべき問題はありません。テレーズが 1925年に列聖されて以降に制作された「聖テレーズ」の類品はたまに見つかりますが、列福も列聖もされていない最初期の聖遺物はたいへん稀少です。