カニヴェと聖遺物と花のデクピ 《愛のルリケール 28 x 23 cm》 マドンナ・デッレ・ラクリメ 奇蹟の聖母像を拭った綿花付き フランスおよびイタリア


額のサイズ 縦 23 x 横 28 cm


綿花を入れた封筒のサイズ 縦 103 x 横 61 mm

封入された綿花のサイズ 27 x 24 mm


カニヴェ 「神への信頼」 のサイズ 縦 126 x 横 84 mm



 イタリア、シチリア島のシラクサで、1953年夏、聖母の小像が涙を流し、その涙に触れた三百名の病気が快癒するという出来事が起こりました。奇跡の聖母像はマドンナ・デッレ・ラクリメ(Madonna delle Lacrime イタリア語で「涙の聖母」)と名付けられ、シラクサに建設された大きな聖堂(Basilica Santuario Madonna delle Lacrime 涙の聖母のバシリカ)に安置されています。

  動画のリンク http://fr.gloria.tv/?media=274228 (音が鳴ります)


 本品は十九世紀のフランスで制作されたアンティーク・カニヴェと、奇跡の聖母の聖遺物(綿花)を、多色刷り石版による十九世紀のデクピ(装飾用に切り抜いた絵)とともに額に封入し、装飾品を兼ねたルリケールとしています。マットはブリュ・マリアル(仏 bleu marial マリアの青)の別珍(べっちん ベルベット)張りです。





 聖遺物は涙を流す聖母像を拭(ぬぐ)った綿花で、27 x 24 ミリメートルの紙封筒に封入されています。封筒にはシラクサの聖母が大きく描かれ、聖母像の下にはイタリア語で次のように書かれています。

     COTONE BENEDETTO cha ha tocato ilquadro della Madonna delle Lacrime si Siracusa    シラクサの涙の聖母像に触れた尊い綿花


 聖母像はブリュ・マリアル(仏 bleu marial マリアの青)と呼ばれるすみれ色がかった青のインクで刷られています。本品ではマットにも同色のベルベットを張っています。

 ルネサンス期から現代に至るまで、青は聖母を象徴する色です。ルネサンス期の画家たちが、聖母のマントを青で描き始めたことはよく知られています。最近の例で言えば、ヨーロッパ連合の旗は青地に十二の星をあしらいます。この意匠はアルセーヌ・ハイツ(Arsène Heitz, 1908 - 1989)によりますが、ハイツは旗の意匠を考案するにあたり、聖母マリアの青と、「ヨハネの黙示録」 12:1 にある十二の星の冠を組み合わせた、と語っています。





 聖遺物は 1950年代後半から 1960年代前半頃にシラクサの教会が頒布したもので、紙封筒に入っています。紙封筒は裏面と上部のフラップが破れていますが、綿花は逸失せずに在中しています。





 フランスの修道院で作っているルリケール(聖遺物封入物)は、封筒や容器をエンボスや蠟で封緘したり、聖遺物を固定する糸の上から修道院の紋章入り紙片を貼り付けたりしています。しかるにシラクサの聖母の綿花は封筒に入れただけであったり、粘着テープで小聖画に貼り付けられているだけであったりで、いかにもイタリアらしい大らかさです。シラクサの聖母の綿花が厳重に封緘されているのを、筆者(広川)はこれまで一度も見たことがありません。





 カニヴェはパリの版元ブマール・エ・フィス(Boumard et Fils)が 1870年代後半から 1880年代頃に制作した作品で、愛する者たちを俗界に残す修道者の、神に委ねる信仰をテーマに取り上げています。表(おもて)面にはイエスの聖心を見上げる修道女と、聖心の傷口から修道女に注がれる愛が描かれています。金彩の最上部には、カニヴェの主題が次のように書かれています。
         
     LA CONFIANCE RELIGIEUSE à l'égard des âmes, laissées dans le monde    ラ・コンフィアンス・ルリジューズ 俗界に残してきた愛する者たちを、神を信じて委ねよ。
         
 カニヴェの主題を直訳すると「俗界に残された愛する者たちに関する宗教的委託」ですが、ここでは上に訳した通り、俗界に残してきた愛する者たちを、神を信じて委ねることという意味で、コンフィアンス(仏 confiance 委ねること、委託)という言葉が使われています。
 
 聖画の下には、金彩の枠内に、次の言葉が四段に分けて記されています。まず初めに、「テモテへの手紙 二」一章十二節がヴルガタに基づいて引用されています。
         
     Scio cui credidi !    自分が信じた方を、私は知っています。
         
 使徒パウロが「テモテへの手紙 二」一章十二節に書いているのは、神がパウロのうちに善きもの(信望愛や宣教の使命)を委ね給うたということ、そしてこの善きものを、神御自身が守り給うということです。しかるに本品ではこの聖句を引用するにあたり、「修道者が俗界に残してきた愛する者たちを、神は守り給う。修道者である私は、神がそのような方であることを知っている。」という意味に解しています。
         
     Oui... je sais à qui je me suis confiée...    自分がどなたに身を捧げたのか、私にはわかっています
         
     J'ai tout quitté pour Dieu, mais il bénira ceux que j'ai quittés pour lui !    私は神のためにすべてを捨てましたが、神は私が捨てた者たちを祝福してくださいます。
         
     Le monde ignore que les Saints Vœux ne détruisent pas les affections légitimes ; mais les perfectionnent.    聖なる修道誓願は正しい愛を壊さず、むしろ完成させる。世間の人々はそのことを知らない。
         
         
 カニヴェの最下部、金彩による枠のすぐ外側には、版元の名前と図版番号が書かれています。
         
     Ancienne Maison Charles LETAILLE, PL. 597    旧シャルル・ルタイユ 図版番号 597
         
     BOUMARD et FILS, Éditeurs Pontificaux, Paris    パリ、ブマール・エ・フィス 教皇庁御用達
         
         
 この面の文字はラテン語もフランス語も活版ではなく、全てビュラン(仏 burin 彫刻刀)によるグラヴュール(仏 gravure エングレーヴィング)で刻まれています。






 聖画に描かれた修道女は祭壇の前に立ち、首から下げた十字架に右手を添えています。祭壇上にはクルシフィクスと三本のシエルジュ(仏 cierges 大蝋燭)が置かれています。クルシフィクスの基部には開いた本が立てかけられていて、修道女は本の上に左手を置いています。開いたページに「聖なる誓願」(仏 Saints VŒUX)と書かれていることから、聖なるもの(クルシフィクス)に触れつつ本に手を置く修道女の仕草は、修道誓願の宣立を表していることが分かります。画面の右下に見える白百合は神に選ばれた身分の象徴であり、修道の召命を受けたこの女性の生き方の象(かたど)りとなっています。


 ふたつのクルシフィクスが描かれているのは、本品の聖画が有する大きな特徴です。すなわち祭壇上にクルシフィクスがあるのは普通のことですが、これに加えて本品の聖画では修道女が首からもクルシフィクスを下げ、右手を添えています。

 裏面の祈りには「御身の慈しみを通して、私は彼らに手を伸ばします。御身の愛を通じて、私はすべての人々に胸を開きます」(j'étends sur eux les mains de votre bonté... j'ouvre à tous le sein de votre amour...)と書かれています。この言葉からもわかるように、本品カニヴェの主題であるコンフィアンス(神にすべてを委ねること)は、キリストとの一体化によってのみ達成されます。

 十字架上のキリストが祭壇上に仰ぎ見られるのみであれば、キリストと修道者の間の懸隔は超え難く感じられるでしょう。本品聖画の作者は小さなクルシフィクスを修道女の身に着けさせ、それに触れさせることにより、修道女とキリストの一体化という宗教的奥義を巧みに視覚化しているのです。


 修道女の視線は、明るい光の中に浮かぶ聖心に向けられています。茨の冠に取り巻かれ、上部に十字架を突き立てられたキリストの聖心は、あまりにも強い愛に光り輝いています。聖心の槍傷からほとばしる血は愛の炎に変わって、地上の修道女と俗界に生きる人々を照らし温めています。





 上下の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品の版画において、衣服や背景はオー・フォルト(仏 eau forte エッチング)ではなく、グラヴュール・アン・アシエ(仏 gravure en acier スティール・エングレーヴィング)によって彫られています。





 オー・フォルトの作品は現代も盛んに製作されますが、グラヴュール・アン・アシエは 1830年代から 1890年代に特有の技法です。グラヴュール・アン・アシエの線は、一ミリメートルの幅に三本ないし五本が入っています。最も明るい部分の点線から、点線と実線の併用、実線と点線で作るクロスハッチ、実線で作るクロスハッチを経て、クロスハッチの菱形内部に一つ一つ点を打った部分に至ります。十九世紀フランスのグラヴール(仏 graveur 版画家)は、刷り上がりの作品と同じサイズの版を、スティールの板に直接ビュラン(仏 burin 彫刻刀)を振るって達成しています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。衣服や背景に比べて画面の滑らかさが必要な修道女の肌、及びキリストの聖心は、ポワンティエ(仏 pointillé スティプル・エングレーヴィング)が使われています。点描の密度は一平方ミリメートルあたり二十個ないし三十個に及びます。各点はでたらめに配置されているのではなく、並ぶ方向と密度が描画の箇所ごとに自在に調節されています。本品を制作したグラヴールは署名を残していませんが、人間離れした職人技には言葉を失います。






 上の写真はカニヴェの表裏を撮影して並べています。裏面にはイエス・キリストへの祈り、及び修道者自身の魂への呼びかけが、活版で刷られています。フランス語テキストの内容を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

    Scio cui credidi (II Timothée, 1-12).   己(おの)の信じ奉りたる御方(おんかた)を、我は知るなり。(「ティモテオ前書 一ノ十二」)
     Je sais à qui je me suis confiée ...    自分が信じた方を、私は知っています。
         
      Souvenez-vous, ô le meilleur des Pères, ô le plus tendre des amis, que répondant à votre appel, j'ai quitté pour vous mon Père et ma Mère...     父たちのうちにて最も優れてあり給う御方、友たちのうちにて最も優しくあり給う御方よ。呼びかけ給うた御身に応えて、私が御身のために父も母も捨てたことを憶えてください。
      Maintenant leurs cheveux ont blanchi ; ils vieillissent, ils souffrent, ils sont isolés et délaissés... Soyez leurs Fils, leur Consolateur, leur Appui, leur Richesse, en un mot : soyez leur TOUT BIEN !     両親の髪はすでに白く、ふたりは年老いて苦しんでいます。孤独であり、見放されています。彼らの息子となり、彼らを慰め、支えとなってください。彼らの宝となってください。一言で言うならば、彼らにとってあらゆる善きものとなってください。
      J'ai quitté pour Vous, ô Epoux divin, frères, sœurs, amis ... Soyez leur Père; donnez-leur Assistance, Conseil et Soutien... Qu'ils puissent verser leurs larmes dans le sein d'un Ami, et que cet ami soit Vous-même, ô Jésus !     神にある浄配よ。私は御身のために、兄弟たちも、姉妹たちも、友人たちも、全て捨てました。彼ら彼女らの父となり、援けとなり、勧めと慰めの与え手、支え手となり給え。ひとりの友の胸に抱かれて、彼ら彼女らが涙を注ぐことができますように。そしてその友が、イエスよ、御身ご自身でありますように。
      Je vous confie tous ceux que j'ai connus sur cette terre d'exil, tous ceux que j'ai aimés dans les premiers jours de mon pèlerinage ; j'étends sur eux les mains de votre bonté... j'ouvre à tous le sein de votre amour... Dans un suprême élan, dans une espérance sans bornes, avec une confiance sans limites, ô Jésus ! je confie à votre Cœur ces êtres chéris ; je les jette en vous, je vous les abandonne pour le temps et pour l'Eternité...     今生をさすらうこの地上で私が知ったすべての人たち、この生という巡礼の旅の前半で私が愛したすべての人たちを、私は御身に委ねます。御身の慈しみを通して、私は彼らに手を伸ばします。御身の愛を通じて、私はすべての人々に胸を開きます。最も激しい愛のうちに、限りなき望みのうちに、無限の信頼のうちに、わが愛しきこの人々を、イエスよ、御身の聖心に委ねます。彼ら、彼女らを、私は御身へと投げかけます。この世に生きる間のみならず、永遠に、私は彼らを捨てて貴方に委ねます。
      Et moi, rassurée sur tout ce que j'aime ici-bas, je me jette à corps perdu dans tout ce que votre bon plaisir me demande ; j'oublie la terre, et je ne veux plus que l'Eternel !     そして私自身は、この生において愛するすべてを御身に委ねて平安を得たのち、甘き喜びなる御身が命じ給う全てのうちに、脇目も振らず身を投げます。
         
      Désormais, j'aurai donc en horreur cette devise mondaine: 《Suivre de loin... et n'aimer qu'à demi...》     「何事もほどほどに」という俗世の格言に、これからの私は怖気を振るうことでしょう。
      Comment partagerai-je mon cœur quand je reçois sans cesse vive lumière :     活ける光に照らされ続けるならば、二心が生まれることなど、どうしてあり得よう。
         
     DIEU EST LÀ !   神はそこにおられる!
         
     O mon âme, laisse pénétrer lentement... respecteusement... finalement... cette vérité au plus intime de ton être... Savoure en silence et avec adoration cet article de Foi...     わが魂よ。この真理をゆっくりと、畏れる心を以て、確実に、汝の最も内奥にまで沁み入らせよ。沈黙のうちに、神への愛をこめて拝しつつ、この信仰箇条を良く味わえ。
     et marche tous les jours en présence de ton Dieu.    そして神の御前(みまえ)に日々を歩め。
         
      MON CŒUR SUFFIT A JÉSUS... ET JÉSUS SUFFIT A MON CŒUR !    わが心はイエスに満ち足りる。イエスはわが心に安らい給う。
     597.    図版 597






 聖遺物とカニヴェはブリュ・マリアル(マリアン・ブルー、すみれ色がかった青)のベルベットを背景に、額に封入いたしました。別珍張りマットを使って額装すると、ベルベットの毛足のせいで、展示物が自然に支持・固定されます。そのため粘着テープが不要で、展示物が傷むこともありません。本品の固定に当たっても粘着テープは一切使用せず、額に入っている物品をマットに押し付けているだけです。額の裏側は自由に開閉できますので、いつでも聖遺物を取り出したり、カニヴェ裏面に刷られた祈りを読んだりできます。

 なお本品の額はフランスのラーソン・ジュール社が製作したものです。商品写真の撮影に際して反射を避けるために、透明アクリル板を額から外しています。実際の額には透明アクリル板が嵌められています。





 額の四隅には、多色刷り石版によるデクピ(仏 découpis 切り抜き絵)を配置しています。四点のデクピは、いずれも十九世紀のフランスで刷られたアンティーク品です。アンティークのデクピは良質の中性紙に刷られているため、百年以上の歳月にもかかわらず劣化は起こらず、酸性紙のような劣化が起こることは今後もありません。


 カニヴェには薔薇と菫が重なっています。薔薇はもともと五弁の花で、五つの花弁が十字架に架かり給うた救い主の五つの傷を象徴します。また十字軍によってヨーロッパに伝わった薔薇は平鉢状の花を咲かせるダマスク・ローズであり、花の形状がキリストの血を受けた聖杯を思わせます。それゆえもともと性愛の女神アフロディーテの花であった薔薇は、キリスト教の図像体系において神の愛の象徴へと昇華されます。すなわちカニヴェに重なる薔薇は、第一義的にはキリストの聖心、すなわち神と救い主が罪びとを慈しみ給う愛を形象化しています。

 カニヴェに重なるもうひとつの花、菫は、異なる大きさの五枚の花弁が人の姿を思わせるゆえに、人間を象徴します。また菫は背が低く地表近くに咲くゆえに、遜(へりくだ)りの象徴でもあります。カニヴェに重ねられた菫は、受肉し給うたキリストを表すとともに、神のうちに自らを捨てる修道者の遜りを象徴しています。




 マドンナ・デッレ・ラクリメの聖遺物には、薔薇とすずらん、フクシアが重ねられています。棘だらけの茂みから花芽を伸ばし、薫り高く傷の無い花を咲かせる薔薇は、無原罪の御宿リであるロサ・ミスティカの象徴です。薔薇は神の愛の象徴でもあるゆえに、その反映である「神へと向かう愛」、すなわち神とイエスを愛する聖母の汚れなき御心を象ります。涙を流した聖像マドンナ・デッレ・ラクリメは、汚れなき御心(無原罪の愛)を示す聖母の像でしたから、薔薇は聖遺物の綿花を飾るのに最もふさわしい花であると言えます。

 すずらんも聖母を象徴します。ヨーロッパの民俗伝承において、すずらんは聖母が十字架の下(もと)で涙を流し、その涙が地面に落ちて咲き出でた花とされます。それゆえすずらんはマドンナ・デッレ・ラクリメの聖遺物を飾るのにふさわしい花です。

 ヴルガタ訳「雅歌」二章一節には、リーリウム・コンヴァッリウム(LILIUM CONVALLIUM ラテン語で「谷間の百合」)という言葉が出てきます。リーリウム・コンヴァッリウムは、十六世紀初めのドイツにおいて、すずらんんを指すとされました。クレルヴォーの聖ベルナールはキリスト教の立場から「雅歌」を解釈し、二章一節の「わたし」(乙女)を聖母マリアと考えました。「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。


    NOVA VULGATA      新共同訳 
  1.  Ego flos campi
et lilium convallium.
    わたしはシャロンのばら、
野のゆり。
         
  2. Sicut lilium inter spinas,
sic amica mea inter filias.
  おとめたちの中にいるわたしの恋人は
の中に咲きいでたゆりの花
         
  3. Sicut malus inter ligna silvarum,
sic dilectus meus inter filios.
Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi,
et fructus eius dulcis gutturi meo.
    若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
  4. Introduxit me in cellam vinariam,
et vexillum eius super me est caritas.
    その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
  5. Fulcite me uvarum placentis,
stipate me malis,
quia amore langueo.
    ぶどうのお菓子でわたしを養い
りんごで力づけてください。
わたしは恋に病んでいますから。
  6. Laeva eius sub capite meo,
et dextera illius amplexatur me.
    あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。



 フクシアは十七世紀にハイチで発見された植物であり、中世以前に遡る象徴性を有しませんが、本品に使用したフクシアの花は赤が愛、白が無原罪性を表すゆえに、マドンナ・デッレ・ラクリメにふさわしい花といえます。





 本品はカニヴェと聖遺物、及び四点の花のデクピで構成されますが、これらの物品はいずれも愛の象徴となっています。したがって本品は《愛のルリケール》です。ルリケール(仏reliquaire)とはフランス語で聖遺物容器のことです。

 本品のカニヴェは、キリストの聖心、すなわち神から人間に向かう愛が重要なモティーフとなっています。一方マドンナ・デッレ・ラクリメは聖母の汚れなき御心を示すマリア像であり、人間から神に向かう愛を表します。これらを取り巻く花々はいずれも愛の象徴であり、全体はブリュ・マリアル(仏 bleu marial マリアの青)でまとめられています。

 カニヴェとデクピは百年以上前のフランスで制作されたアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好で、制作当時のままの状態を保っています。マドンナ・デッレ・ラクリメの聖遺物はおよそ六十年前のものですが、綿花は逸失せず、聖母マリアの変わらぬ愛と恵みをいまに伝えています。


 聖母像が涙を流す奇跡は世界各地でよく起こるせいか、わが国ではマドンナ・デッレ・ラクリメを知る人は多くありません。しかしながらシラクサの奇跡は、「聖地のかけら」ともいうべき聖遺物が移動可能です。それゆえマドンナ・デッレ・ラクリメは、シラクサに巡礼できない人々を含むいっそう多くの人々に、聖なる世界と交通する世界軸を与えます。聖母が与え給う世界軸は、人々が生きる世界に意味と秩序を与えます。こうして聖化された世界に生きるようになった人々は、人生の方向を正しく定め、充実した生を送ることが可能になります。

 通常であれば、このような恩寵を得られるのは、聖地に出向いた人だけです。しかしながらマドンナ・デッレ・ラクリメは、聖母ご自身がシラクサから世界各地に出向き給い、その涙を通して世界中の人々に寄り添い給うのです。人が聖なる存在に近づく前に聖なる存在のほうから人に近づき、救いを与えるという思想は、仏教などと同様にキリスト教にも見られます。援けを必要とする者のところに自ら出向き、わが子に寄り添うと同様に寄り添い給うマドンナ・デッレ・ラクリメの奇蹟には、救済の経綸における共贖者マリアの働きがよく現れています。


 最後に本品の聖遺物の特異性について一言付け加えれば、聖母の涙を滲み込ませた綿花が人々の手に渡った点で、マドンナ・デッレ・ラクリメはルルドの聖母に似ています。ルルドの泉の水も、シラクサの聖母の涙も、ともに遠方まで運ばれたからです。シラクサの聖母の涙とルルドの泉の水は、いずれも移動可能な「聖地のかけら」であるといえます。しかしながらルルドの聖水が地面から湧き出す泉水であるのに対し、シラクサの聖母の涙は聖母ご自身が流されたものでした。またルルドの聖母はベルナデットだけが幻視しましたが、シラクサの聖母が流す涙は数千人の人々に目撃され、成分の化学分析まで行われました。これらの点において、シラクサの出来事は稀有な奇跡であるといえます。





26,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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