「涙の聖母」の聖遺物と「聖心のカニヴェ」 響き合う愛の聖画のルリケール


「涙の聖母」の小聖画 サイズ  縦 107 x 横 62 mm 
  制作地と年代  ナミュール(ベルギー) 1955年
     
「イエズスの聖心」のカニヴェ サイズ  縦 101 x 横 65 mm 
  制作地と年代  パリ(フランス) 19世紀中頃から後半
     
額のサイズ 縦 176 × 横 230 mm



 二枚の聖画で構成したルリケール。1955年頃にベルギーで制作された「マドンナ・デッレ・ラクリメ」(Madonna delle Lacrime イタリア語で「涙の聖母」)の小聖画と、19世紀中頃または後半にパリで制作されたカニヴェを収めます。

 「マドンナ・デッレ・ラクリメ」が涙を流したのは、共産主義が強勢を誇り、人の世の堕落、神からの離反が強く意識された20世紀半ばです。一方、カニヴェが制作されたのは、フランスが宗教的良心の呵責に苦しんだ「悔悛のガリア」の時代です。二つの聖画にはおよそ百年の開きがありますが、いずれも精神面において似通った時代背景に制作されています。





 イタリア、シチリア島のシラクサで、1953年夏、聖母の小像が涙を流し、その涙に触れた300名の病気が快癒するという奇蹟が起こりました。動画のリンク http://fr.gloria.tv/?media=274228 (音が鳴ります)





 「マドンナ・デッレ・ラクリメ」の小聖画には、聖遺物すなわち聖母の涙が滲み込んだ布に触れた綿を、涙を流す聖母の写真に貼り付けています。この面の最下部には、次の言葉がイタリア語で書かれています。

  LA MADONNA DELLE LACRIME  マドンナ・デッレ・ラクリメ(涙の聖母)

  Dal primo originale fotografico del Padre Vincenzo Sapio O. S. M. realizzato il 30 Agosto 1953.  マリアのしもべ会 ヴィンチェンツォ・サピオ神父が 1953年 8月 30日に自ら撮影した最初の写真より


 ヴィンチェンツォ・サピオ神父の名前の後ろに添えられた三文字 "O.S.M." は、「マリアのしもべ会」のラテン語表記 (Ordo Servorum Beatae Mariae Virginis) を略したものです。ヴィンチェンツォ・サピオ神父はこの奇跡を目撃した最初の聖職者で、この写真を 1953年 8月 30日、すなわち聖母像が涙を流し始めた翌日に撮影しています。





 裏面には次の解説がフランス語とラテン語で書かれています。和訳は筆者(広川)によります。

    N.-D. AUX LARMES DE SYRACUSE   シラクサの涙の聖母
         
     On sait que le 29, 30, 31 août et 1 septembre 1953, une Madone de Syracuse, buste de Vierge montrant son Cœur (bas-relief en plâtre polychromé verni, mesurant 23 X 28 cm. et fixé sur une plaque en verre noir 34 X 38cm.) a versé d'abondantes larmes. Ce fait a été constaté par des témoins innombrables et reconnu miraculeux par l'Autrité Ecclésiastique, le 12 décembre 1953..    広く知られているように、1953年8月29日、30日、31日、9月1日、シラクサにおいて、汚れ無き御心を示す一体の聖母像(34×38センチメートルの黒色ガラス製台座に固定した 23×28センチメートルの彩色漆喰浮き彫り像)が多量の涙を流した。この事実は数えきれない証言に裏付けられ、1953年12月12日、教会当局によって奇跡と認められた。
     C'est par milliers que se comptent les faveurs obtenues devant l'image miraculeuse ou au moyen d'objet l'ayant touchée ou ayant seulement touché aux linges imbibés des Larmes de la Madone.    奇跡の聖母像の前で、あるいは像に触れた物を介して、あるいは聖母の涙を滲み込ませた布の触れただけで得られた恵みについて、幾千人という人々が語っている。
         
    Nouvaine à N.-D. aux Larmes de Syracuse   涙の聖母のノヴェナ
         
     Fréquenter les Sacrements ; assister, si possible, chaque jour à la Sainte Messe, et réciter le chapelet en famille suivi des invocations :    聖体を頻繁に拝領し、可能ならば毎週ミサに出席し、家庭ではロザリオの祈りに続けて次のように唱えなさい。
     N.-D. aux Larmes de Syracuse, priez pour nous. Cœur douloureux et immaculé de Marie, priez pour nous.      シラクサの涙の聖母よ、我らのために祈りたまえ。悲しみ給うマリアの汚れなき御心よ、我らのために祈りたまえ。
     Indulgence de 100 jours chaque fois. Benoît XV. 28/9/1915    一度祈るごとに百日間の免償
1915年9月28日 ベネディクトゥス15世
         
         
    Prière à Notre-Dame aux Larmes   涙の聖母への祈り
         
     Notre-Dame aux Larmes, vous avez pleuré sur le monde.Ne le laissez pas périr. Convertissez la Russie, sauvez les pécheurs, fortifiez nos frères et sœurs qui souffrent persécution; enfin donnez-nous la paix. Mère bien-aimée, vos larmes étaient aussi pour moi. Donnez-moi la grâce d'éviter le péché et de vous consoler par une vie toute au service de Dieu et du prochain.     涙の聖母さま。御身はこの世界をご覧になり、泣き給いました。この世界が滅びるままに捨て置かないでください。ロシアを回心させ、罪人たちを救い、迫害される兄弟姉妹を救い、ついには我らに平和をもたらし給え。我らが愛する御母よ。御身の涙は私のためでもありました。御身がくださる恩寵により、私が罪を避け、神と隣人に常に仕える生き方をして、御身の慰めとなることができますように。
     O Marie, Mère au Cœur douloureux et immaculé, que votre règne arrive sur la terre et par lui le règne de votre Divin Fils, Notre Seigneur Jésus-Christ, à qui soit tout honneur et toute gloire. Ainsi-soit-il.    マリアさま。悲しみ給う汚れなき御心の御母よ。御身の支配が実現し、それによりて、神なる御子、我らが主なるイエス・キリストの支配が地にもたらされますように。主イエス・キリストに、すべての誉れとすべての栄光がありますように。アーメン。
     On peut encore dire le Memorare, le Salve Regina, le Sub Tuum, le Magnificat.    (これに加えて、「メモラーレ」「サルウェ・レーギーナ」「スブ・トゥウム」「マーグニフィカト」を唱えてもよい。)
     Imprimatur
Namurci die prima julii 1955
P. Blaimont, vicarius generalis
   印刷許可
ナミュール、1955年7月1日
ナミュール司教総代理 P. ブレモン
         
     Propagande du Sacré-Cœur, 6, rue Antiquaille, Lyon.    聖心宣教会 リヨン、アンティカイユ通 6番地



 裏面最下部には、表(おもて)面に貼り付けられている綿花について、次の説明が書かれています。

  Ouate ayant touché au linge imbibé des Larmes de N. D.  聖母の涙が滲み込んだ布に触れた綿



 ルリケール左側の「マドンア・デッレ・ラクリメ」は、「汚れなき御心の聖母」像です。これに対してルリケール右側のカニヴェは、「イエス・キリストの聖心」を主題に制作されています。





 カニヴェには、衣の胸を開いて「聖心(サクレ・クール)」すなわち「神とキリストの愛」を示す幼子イエスと、その前に跪くひとりの子供が描かれています。あまりにも強い愛ゆえに炎を噴き上げて燃える聖心は、その全体と槍の刺し傷から眩い光を発出しています。幼子イエスのまなざしは、聖心の前に跪く子供の上に優しく注がれています。子供は恐れる様子もなく、腕を広げて両手を差し出し、イエスを心に迎え入れようとしています。子供は赤い衣を着ていますが、キリスト教図像の象徴体系において、赤は愛を表します。

 カニヴェの図像を囲む切り紙細工は、薔薇の花々を模(かたど)っています。愛の象徴である薔薇は、聖心の図像を飾るのにふさわしい花です。薔薇は聖母の象徴でもあるゆえに、薔薇に囲まれた幼子イエスの図像は、聖母子像と解釈することもできます。





 本品において、幼子イエスの後光はゴシック聖堂の薔薇窓の形、あるいはマーガレットの形をしています。これを薔薇窓の形と捉えれば、やはり幼子イエスに聖母を重ねた図像と見ることができます。一方、マーガレットの形と捉えるならば、この後光の形がマルグリット=マリ (Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) の暗喩となっていることがわかります。マルグリット=マリは聖心を示すイエス像に最もふさわしい聖人です。

 マルグリット=マリは、パレ=ル=モニアル聖母訪問会修道院のド・ソメーズ院長に宛てた1689年6月17日付「第98書簡」で、キリストから受け取った啓示を国王ルイ14世に伝えるように頼みました。この啓示において、キリストは地上で受けた辱めへの償いを求め、国王が自らをキリストに捧げるように命じていました。マルグリット=マリの手紙は国王に宛てて取り次がれましたが、国王からは何の反応も無く、その後フランスは共産主義ロシアにも比すべき堕落と非道を重ねました。




(上) 「ル・ロワ=ソレイユ」(le Roi-Soleil 太陽王) フランス国王ルイ14世 Hyacinthe Rigaud, "Louis XIV", 1701, huile sur toile, 277 × 194 cm, musée Bernard d'Agesci, Niort


 マルグリット=マリの第98書簡の啓示は、1867年8月になってようやくフランス国民の知るところとなりました。その後の普仏戦争敗戦やコミューンによる荒廃を背景に、19世紀後半のフランスでは宗教的な「回心」の必要が叫ばれるようになり、「悔悛のガリア」(Gallia poenitens) をキリストの聖心に捧げる国民的規模の運動が起こりました。この時代に、聖心に捧げた「サクレ=クール教会」がモンマルトルをはじめとするフランス各地に建てられたのは、悔悛のガリアを聖心に奉献しようとする運動の結果です。このように考えると、このカニヴェの内容が、シラクサの「マドンナ・デッレ・ラクリメ」と相補う関係にある事がお分かりいただけるでしょう。


 カニヴェの下部には、次の言葉がフランス語で書かれています。

  Vois comme ce cœur brûle du désir de soulager tes misère.  汝のミゼール(悲惨さ、苦難、艱難)を和らげんがために、この聖心がいかに燃ゆるかを見よ。


 聖画のすぐ下には版元名と所在地、図版番号が書かれています。

  Bouasse-Lebel Éditeur et Imprimateur, 29 Rue St. Sulpice, Paris, 835  出版・印刷工房ブアス=ルベル パリ、サン=シュルピス通り 29番地 図版番号 835

 このカニヴェは、パリの老舗ブアス=ルベルによるグラヴュール(エングレーヴィング)及びオー・フォルト(エッチング)の細密版画に、19世紀当時の手彩色を施したものです。ブアス=ルベルは、この名前を名乗ったエングレーヴァー、アンリ=マリ・ブアス (Henri-Marie Bouasse, 1828 - 1912) が 1845年に創業した版元で、数多くの美しいカトリック聖画で知られています。





 カニヴェの裏面には聖心を示すイエスへの祈りがフランス語で記されています。内容は次の通りです。和訳は筆者によります。自然な日本語を心がけたために、逐語訳にはなっていません。

     Je t'ai aimé d'un amour éternel, et pour t'attirer à moi, j'ai compati à toutes tes misères. Jeremiah XXXI, 3    われ、永遠の愛を以て汝を愛せり。汝をわれに引き寄せんがため、われ、汝のすべての惨めさにおいて、汝と共に苦しめり。(「エレミヤ書」 31章 3節)
         
     Comment pourrais-je résister à tant d'attraits, ô doux Jésus! Vous m'aimez, non pas seulement malgré mes misères, mais pour mes misères mêmes. Et ce feu qui consume votre cœur, c'est l'ardent désir que vous avez de les expier et de les guérir. Je veux vous aimer, ô mon Dieu, pour tant de miséricorde.
   優しきイエスよ。かくも強く惹き付ける力に、私はどうして逆らうことができるでしょうか。私は惨めな者であるにもかかわらず、御身は私を愛し給いました。のみならず、私が惨めな者であるがゆえに、御身は私を愛し給いました。御身の心臓を焼き尽くす火により、私の悲惨さを贖(あがな)い、癒そうと、御身は燃ゆるが如くに望み給う。かくも大きな慈しみゆえに、わが神よ、私は御身を愛します。
         
    835 Bouasse-Lebel, 29 rue Saint-Sulpice, Paris   図版番号 835
ブアス=ルベル パリ、サン=シュルピス通 29番地



 冒頭で「エレミヤ書」を引用した部分に使われている「コンパティール」(compatir) という動詞は、仏和辞典では「同情する」と訳されています。しかしながらフランス語「コンパティール」の語源はラテン語「コンパティオル」(COMPATIOR) であり、これは動詞「パティオル」(PATIOR) に、「共に」を表す接頭辞「コン-」(CON-) が付いたものです。インド=ヨーロッパ基語まで遡ると、ラテン語「パティオル」はギリシア語「パスコー」(πάσκω) と同語根で、ラテン語「パティオル」からは「パッシオー」(PASSSIO)、ギリシア語「パスコー」からは「パテー」(πάθη) が派生します。「パッシオー」「パテー」は「苦しみ」ですが、これらの語はキリスト教において、何よりもまずイエス・キリストの受難を意味します。したがって、幼子イエスの言葉として引用されているフランス語「コンパティール」には、「共に苦しみ受難する」「受難において寄り添う」という強い意味が籠められています。





 このルリケールは、右側のカニヴェが「人を愛する神の愛」を、左側の「マドンナ・デッレ・ラクリメ」(汚れなき御心の聖母)が「神とイエスへの愛」を、それぞれ象(かたど)っています。聖心を示しつつ「汝のミゼールを和らげんがために、この聖心がいかに燃ゆるかを見よ」と語り給う幼子イエズスに対し、悔悛のガリアは「優しきイエスよ…私が惨めな者であるがゆえに、御身は私を愛し給いました」と神の愛を思い起こし、「かくも大きな慈しみゆえに、わが神よ、私は御身を愛します」と祈っています。一方、世の罪に涙を流し給う「マドンナ・デッレ・ラクリメ」に対し、キリスト者は「御身がくださる恩寵により、私が罪を避け、神と隣人に常に仕える生き方をして、御身の慰めとなることができますように」と祈っています。このルリケールに収めた二点の小聖画が、制作された場所と年代が異なるにもかかわらず、いかに響き合い調和しているか、お分かりいただけるでしょう。





 ルリケールの材質は、木製額に黒のベルベットを用いています。聖遺物付聖画及びカニヴェの固定方法はマットに押し付けてあるだけで、粘着テープ等はいっさい使用しておりませんので、額を開ければいつでも取り出すことができます。額の裏側は自由に開閉できます。

 二枚の聖画はいずれも良質の中性紙に刷られているため、一方は60年前、もう一方は百年以上前に制作されたにもかかわらず、紙は劣化していません。いずれの聖画に関しても、酸性紙のような劣化が起こることは今後もありません。ベルベットの色は変更できます。


 なお、ルリケール右側のカニヴェに見られる切り紙細工の破損についてですが、筆者(広川)は長きに亙って同業者の誰よりも多くのカニヴェを見てきており、優れた作品を見分ける眼を養っています。本来、カニヴェの価値は主に聖画のできばえ、及び聖画と裏面の祈りの調和に存するのであり、切り紙の保存状態は関係ありません。しかしながら商品として販売する場合は、極力破損の無いものを紹介しております。この種の聖画を初めて目にする方には、完品の方が商品として受け入れやすく、価値を分かっていただきやすいからです。

 ルリケール右側のカニヴェは、これまで目にした数百点のなかでも、 筆者が最も高く評価する作品のひとつであり、販売する予定はありませんでした。しかしながらこのカニヴェは、画題においても、図像のできばえにおいても、裏面に書かれた祈りにおいても、制作年代の精神史的背景においても、あらゆる点において「涙の聖母」とあまりにも良く補い合うゆえに、このたび思い切って出品いたしました。完品ならずとも評価していただければ幸いに存じます。


 聖母像が涙を流す奇跡は世界各地でよく起こるせいか、わが国ではマドンナ・デッレ・ラクリメを知る人は多くありません。しかしながらシラクサの奇跡は、「聖地のかけら」ともいうべき聖遺物が移動可能です。それゆえこの聖遺物は、シラクサに巡礼できない人々を含むいっそう多くの人々に、聖なる世界と交通する固定点あるいは世界軸を与えます。聖母が与え給うた固定点(世界軸)は、人々が生きる世界に意味と秩序を与えます。こうして聖化された世界に生きるようになった人々は、人生の方向を正しく定め、充実した生を送ることが可能になります。

 通常であれば、このような恩寵を得られるのは、聖地に出向いた人だけです。しかしながらマドンナ・デッレ・ラクリメは、聖母ご自身がシラクサから世界各地に出向き給い、その涙を通して世界中の人々に寄り添い給うのです。人が聖なる存在に近づく前に、聖なる存在のほうから人に近づき、救いを与えるという思想はキリスト教のみに限りませんが、マドンナ・デッレ・ラクリメはその一例といえましょう。





24,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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