ボーラン、キリスト教教育女子修道会寄宿学校 聖母御出現の山査子(サンザシ)


47 x 38 mm

ベルギー  20世紀中頃



 ベルギーのワロン地域、ナミュール州にある人口 8,500人ほどの村ボーラン (Beauraing) に、ナンシーの女子修道会である「スール・ド・ラ・ドクトリン・クレチエンヌ」(Sœurs de la Doctrine Chrétienne キリスト教教育女子修道会)が運営する幼稚園と小学校、「聖心の聖母学園」(L'Institut Notre-Dame du Sacre-Coeur) があります。

 この学園の前身、「聖心の聖母寄宿学園」(Pensionnat Notre-Dame du Sacre-Coeur) の庭において、1932年11月29日から 1933年1月3日まで、約 30回に亙って、5人の子供たちに聖母が出現しました。


 本品は山査子(サンザシ)の小枝を紙包みに封入してあります。この山査子は「聖心の聖母寄宿学園」の庭に生えていて、ノートル=ダム・ド・ボーラン(Notre-Dame de Beauraing ボーランの聖母)出現の場となりました。



 紙包みには聖母出現の場所と日付がフランス語で書かれています。

Beauraing, Pensionnat de la Doctrine Chrétienne  ボーラン、キリスト教教育女子修道会寄宿学校

Aubépine des Apparitions, 29 Novembre 1932 - 3 Janvier 1933  御出現の山査子(サンザシ) 1932年11月29日から1933年1月3日






 紙包みを開くと、山査子の小枝と木片が入っています。

 聖母の山査子が現在もボーランにあるのかどうか私は知らないのですが、もし今もあるとしても、この小枝の貴重さに変わりはありません。なぜならば、この特別な山査子から採った木片を手に入れたいと望む人は多いでしょうが、あまり多量に採って木が弱ったり枯死したりしては本末顛倒ですから、せいぜい通常の剪定で手に入る葉や小枝を、毎年少量ずつ採取するしかありません。それゆえにこの「聖母の木」は、成長する植物の一部とはいえ、やはり限られた数量しか無い貴重な物といえます。


 ボーランの聖母が 1932年12月29日に出現した際、両腕の間に見えた聖母の聖心は金色に輝いていました。1933年1月3日、最後の出現の際、聖母は最も年長の少女フェルナンドに「私の息子を愛していますか」、「私を愛していますか」と尋ね、「私のために自身を捧げなさい」と言いました。

 これまでに起こった聖母の出現において、大抵の場合、聖母のメッセージは未知の重大事に関するドラマチックな啓示などではなく、「祈りなさい」、「愛し合いなさい」といったごく普通の事柄です。これは一見したところ、聖母の出現という大事件に不釣り合いな不思議なことに思えます。しかしながら初代教会以来二千年の歴史を振り返ると、人間がキリストの教えを守り始める気配すら一向に無いことに、あらためて気付かされます。それゆえに聖母は繰り返し出現され、涙を流されるのでしょう。




(上) ボーランの寄宿学校 古い絵葉書から


 ボーランの聖母の出現後、1933年から1935年までは、イエズスの愛を記念する「購いの聖年」とされました。しかしながら聖年が始まった 1933年にはヒトラー内閣が成立し、1935年3月16日にヒトラーはドイツの再軍備を宣言します。同年9月15日にはニュルンベルクにおけるナチ党大会でニュルンベルク法 (Nuernberger Gesetze) が制定されてナチのハーケンクロイツ(鉤十字旗)が正式のドイツ国旗となり、ユダヤ人に対する本格的な迫害と絶滅政策が始まります。

 第二次世界大戦当時、ボーランがあるベルギーは中立国でしたが、1940年5月10日、ドイツ軍はベルギーに侵攻しました。激しい戦闘の末、5月28日、ベルギー軍は数千名の戦死者を出して降伏し、ドイツはベルギーを通ってフランスに攻め込みます。イエズスと聖母の願いである愛による世界支配とは正反対の、憎しみによる世界支配が間もなく実現し、未曾有の規模の大戦が始まる前夜に、聖母はボーランに現れ給うたのです。


 ナミュール司教のシャリュ師 (Mgr. Andre-Marie Charue, 1898 - 1977) は、1943年2月2日にボーランの聖母に対する崇敬を承認し、1949年7月2日にはボーランでの出来事が真正の聖母出現であることを公式に宣言しました。したがって本品の年代は1943年以降ですが、それほど近年のものではありません。

 先に述べたように、ボーランの「御出現の山査子(サンザシ)」は生長する植物ではあっても、枝や葉を大量に採集することはできませんし、もしかすると「御出現の山査子」そのものが現存しないのかもしれません。あるいは現存していても、枝や葉の採集が現在では禁じられているのでしょうか。以上のうちいずれの理由かわかりませんが、ボーランの聖母の聖遺物は現在では手に入りません。本品は非常に珍しく、私自身初めて目にいたしました。




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