7月10日 土曜日

 深夜勤から帰ってシャワーを浴びていたら、裏山でツクツクボウシが鳴いています。梅雨もまだ明けていないのに珍しいですね。この時期に羽化するツクツクボウシはごく少数のはずです。無事に彼女を見つけられれば良いのですが。

 ツクツクボウシの学名はメイムナ・オパリフェラ(Meimuna opalifera)といいます。属名メイムナはギリシア語でもラテン語でもないので、私が知らない言語か、あるいは人名や地名などの固有名詞由来であろうと思います。種名オパリフェラはラテン語の形容詞で、オパルス(OPALUS オパール)の語幹と形容詞語尾フェル(-FER)を -I- で繋ぎ、語尾を女性形(女性単数主格形)にしています。オパールを産する、オパールを有する、オパールを持っているという意味です。綺麗な種名ですね。


 下に貼り付けた写真は、今日のデイジーちゃんと、7月7日の夜に撮影したカタツムリです。カタツムリはおそらくナミマイマイ(Euhadra sandai communis Pilsbry,1928)で、当店の周辺に数多く生息しています。




 ルーマニア出身の宗教学者でシカゴ大学神学部教授を務めたミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade 1907 - 1986)は、1949年初版の著書「宗教史論」("Traité d'histoire des religions")で、月の象徴性について詳しく論じています。

 月の力の顕れを、古代人は分析的思考によらず直観によって知りました。夜空の月は出現したり消滅したりします。しかるにカタツムリも出現したり消滅したりします。それゆえカタツムリは月そのものが別の姿で現れたものと考えられました。アステカの月の神テクシステカトル(Tecçiztecatl)はカタツムリの殻の中にいる姿で描かれることがあります。水や降雨も月の顕現です。古代人の精神にとって、月、水、雨、植物、カタツムリはコスモスの中で一体のもの、同一物でした。この写真は雨の夜に撮りました。当店の窓辺に遊びに来たナミマイマイは、地上に降りた月のようです。




7月7日 水曜日

 十九年前のちろりんの写真です。

 2002年7月31日撮影



 2002年8月4日撮影

 2002年9月22日撮影





 2003年1月14日撮影

 2003年2月23日




 最近のちろりん。ちろりんとありちゃんは同い年です。ふたりとも毎日のんびりと暮らしています。2021年3月2日撮影。







 下の三枚は、2021年7月2日と3日に撮影しました。









 デイジーちゃんの雨宿り。2021年7月2日に撮った写真。











 日々勉強を続けながらも分からないことが増える一方で、人生の短さをつくづく感じます。学べば学ぶほど自分の無知と無能力を痛感します。あらゆることを知るのはあたかも大海の水を柄杓で小さな穴に注ぐような不可能事と分かっていても、それでもいろいろなことが気になって、知る努力を諦めることができません。古代ローマの詩人テレンティウスは次のように言いました。

  Homo sum, humani nihil a me alienum puto.  私は人間であるから、人間に関するすべての事が自分に関係があると考える。

 私もテレンティウスに同感ですが、むしろ次のように言いたいと思います。

  Homo et etiam naturalis sum, ergo nihil humani ac omnium naturalium a me alienum puto.  私は人間であるのみならず、ナートゥーラ(もしくはピュシス)から生まれた存在でもある。それゆえ人間に関するすべての事、及びナートゥーラが産んだ全ての事物に関するあらゆる事が、自分に関係があると考える。




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