9月28日 土曜日

 道端で未配達の宅配便を拾いました。営業所に届けられれば良かったのですが、それがどこにあるかわからなかったので、運送業者のウェブサイトから電子メールで本社に知らせておきました。そのとき「荷物をひらいました」と入力しても漢字に変換されません。何度試してもだめなので、止むを得ず仮名表記のまま送信しました。後で気付いたことですが、ひらう、の代わりに、ひろう、と入力すると、漢字に変換される仕組みになっていました。旧仮名遣いは「ひらう」ですから、ひろう、は明らかに訛っています。ソフトウェアにデータを入力した人の訛りが、変換方式にそのまま反映しています。

 宅配便の荷物をひらってから、ジュンク堂で本を二冊買いました。数学書と、古い小説です。明日の午前中は、マクドナルド三宮店で英語の出張授業です。マクドナルドのことを私はマクドといいます。フランス語でもル・マクド(仏 le MacDo)です。マックという略し方も耳にしたことがありますが、これはゲール語の接頭辞だけを言っているわけで、意味も何も考えずに最初の三文字(Mac-)だけを取った安直さが見事です。語根、すなわち語において根本義を担う中核的部分が、「マック」には完全に欠落しています。


9月25日 水曜日

 ウスバカゲロウの一種。おととい風呂場で優雅に舞い飛んでいました。弥生ちゃんにつかまらないように、ドアを閉めて撮影しました。





 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたウィトルウィウスの人体図は、ローマの建築家ウィトルウィウスの「デー・アルキテクトゥーラー」("DE ARCHITECTURA")に基づきます。この著書はアルベルティによって十五世紀の西欧に紹介され、ルネサンス建築の教科書となりました。しかしながら十六世紀になると、ウィトルウィウスの本は影響力を失い始めます。ちょうどこの頃にアリストテレスの動植物学が流行し、おそらくその影響によって、ミケランジェロの弟子ヴィンチェンツォ・ダンティは動植物における比例にも目を向けました。




(上) Leonardo da Vinci, "HOMO VITRUVIANUS", c. 1490, penna e inchiostro su carta, 34.6 x 25.5 cm, Gallerie dell'Accademia, Venezia


 節足動物の外骨格は建築物を髣髴させ、建築における比例を論じる際、人体よりも優れた材料になると私には思えます。ウスバカゲロウの美しい形態について、古代やルネサンス期の建築家なら何とコメントするでしょうか。


 今日も昨日も、ねこ室のお客様が一人もありません。にゃんこスタッフが退屈して、誰か来てくれないかにゃー遊びたいにゃー、と言っております。よろしくお願いいたします。


9月15日 日曜日

 近所のキャロルさんが私に「この猫の名前は何。」と訊くので、「君がつけたら?」と答えました。次に会ったときに、何て名前を付けたの、と訊くと、レオよ、というので、レオーはラテン語の男性形で、女の子ならレオーナだと答えました。キャロルさんはアメリカ人なので、ラテン語のレオーナが英語式発音のリオナになりました。リオナは私の足音を聞いたり声を聞いたりすると、にゃーにゃーと甘えます。私はリオナをリオちゃんと呼んでいます。2019年6月14日撮影。







 デイジーちゃん。リオナが意地悪して、最近はあまり姿を見ませんが、元気だと思います。2019年6月26日撮影。





 ねこ室に遊びに来たマイマイ。2019年5月28日撮影。





 とても怖がりの猫。2019年5月1日撮影。





 カラス。かわいい。2019年6月17日撮影。







 弥生と澄雄。2019年5月27日撮影。





 屋上から見たあべのハルカス(中央)。その北側に見える頂部が金色の建造物は、フンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser)氏が設計した大阪市環境局舞洲工場の煙突。奥は生駒山地。手前は本土(神戸市中央区)と、六甲アイランド。2019年6月16日撮影。





 ねこ室に遊びに来たナナフシモドキ(Baculum irregulariterdentatum)。2019年8月3日撮影。







 シマヘビ(Elaphe quadrivirgata)の子。とてもかわいい。2019年6月8日撮影。





 モリアオガエル(Rhacophorus arboreus)。最大級のオス。2019年6月8日撮影。









 仕事中のスタッフ。2018年10月18日撮影。





 新屋島水族館のコツメカワウソ(Aonyx cinerea)と、ミズクラゲ(Aurelia aurita)と、チンアナゴ(Heteroconger hassi)。いずれも2019年5月14日撮影。









 生き物はみんなかわいい。

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 さきほど睡眠中に見た夢を、憶えているうちに記録しておく。以下は夢の内容。


 大学の食堂で食べたシチューをお代わりしようと思い、食器(白色プラスチックの深皿)を手にしたまま食堂に急いでいる。食堂から外に出た覚えはないが、私はいつの間にか学外にいて、時刻は深夜である。田中関田町あたりから歩いてきたらしい。百万遍南東角の建物壁面に大きなスクリーンがあって、理学部で観測中の満月が映し出されている。満月はほぼ正六角形で、周の直線部分がわずかに外側に膨らんでいる。同じスクリーンの下方には、側面から見た月も映し出されている。側面から見た月は上下に押しつぶされた六角形で、接合線のような突起が赤道面左右に突出している。

 六角形の月のライヴ映像は一、二時間前、あるいは数時間から投影されていて、この日目にするのは数度目である。月はクレーターも鮮明に見えている。月全体の輪郭は円形のはずなのに、六角形に見えるのは珍しい。この形状はレンズの光学的効果によるとわかってはいるが、珍しい現象なので、写真に撮っておくべきだったと思っている。夜明けが近いらしく、月を投影した画面の背景が白みかけている。月は沈みかけていて、スクリーンの映像は不鮮明になりつつある。

 私は徒歩で、百万遍交差点を西から東に急ぎ渡り、そのまま今出川通を東進する。今出川通に人の姿は見えず、自動車も走っていない。道の北側の古本屋も閉まっている。通りは月明りに照らされている。

 ききほどシチューを食べたのはどこの食堂であったのか判然としないが、私は京大本部の敷地の北東角あたりの門から入って中央食堂に向かう。中央食堂へは東から西に降りるスロープがあって、地上には切り株が密集している。真夜中にキャンパスのルーティン的な整備をしているらしく、数十名の作業員が仕事歌を歌って、切り株を除去すべく待機している。これから作業が始まるらしい。リーダーらしい四十がらみの男と目が合い、この人は京都大学に雇われた造園業者なのだなと思う。男は工兵のような服装で、短い前鍔が付いた筒形の軍帽を被っている。軍帽はカーキ色で、円形をした銀色の徽章を側面に付けている。

 自分の腕時計を見ると、午前零時を十五分か二十分ぐらい過ぎている。中央食堂は営業時間が終わってしまったな。どうして先ほどとは別の食堂に来たのだろう。先ほどの食堂にいまから移動しようかな、と考える。


 今夜の夢はここまでである。目が覚めると、現実の時刻は午前一時過ぎであった。如何にも夢の話らしく、地理や方角、時間がめちゃくちゃである。最初にシチューを食べたのは理学部の食堂らしいが、これは北部構内にある。百万遍交差点から見ると、京大北部キャンパスと田中関田町とは方向がほぼ正反対である。京大中央食堂の入口には切り株など密集していないし、スロープは西から東に下っている。満月の月没は明け方のはずで、実際スクリーンに映る背景は白みかけていた。しかしその後に腕時計で確認すると、時刻は真夜中であった。

 もっとも奇妙で記憶に残っているのは、六角形の月である。昨日読んだ地球物理学の文献に、アフラカゲン(авлакоген)の生成モデルが図解されていた。月が六角形であったのは、その図が影響したのだと思う。あるいは完全図形である円と完全数である6を、睡眠中の脳が結びつけたのかもしれない。月の輪郭は、ある種のタコノマクラ(Clypeasteroida)の外骨格にも似ていた。ただし棘皮動物の体制は五放射相称だから、私が見た月とは異なる。


 最近、学生時代に戻ったような夢をよく見る。別の日に見た夢も思い出したので、ついでに書き留めておく。

 先日見た夢で、私は京都大学理学部の建物内にいた。建物は京大のものであったが、キャンパスの様子は京大北部構内のようでもあり、阪大待兼山キャンパスのようでもあった。別の日の夢では、田中東春菜町の下宿から自転車に乗って北大路を越え、一条寺か修学院のあたりまで往復する内容であった。日常的に行き来を繰り返していたのだが、何の用事でそうしていたのかは、いまとなっては思い出せない。途中で通った公園は夢の中では北大路よりも北にあったが、あれはおそらく田中東春菜町の公園が場所を移して夢に出てきたのだと思う。養徳小学校南側にある叡山電車の踏切も、夢に出てきたことを覚えている。夢の中の踏切は、実際よりも東大路に近い場所にあった。

 また別の日に見た夢の舞台は、大阪大学であった。私は西洋近代史の論文を書こうとしており、待兼山キャンパスの中央図書館で一次資料を探索している。目の前の書架に並んでいるのは十九世紀の大型本で、立派なルリエ(reliés)である。ドイツ語かフランス語で書かれていたように思う。ロシア語ではない。資料調べの用が済んで史学の領域から離れ、館内を移動すると、驚いたことに、上層階が児童書を置いた明るいフロアになっていた。フロアの入り口にはロウ・カウンターがあって、女性職員が荷物を預かるなどの対応をしている。子供たちの姿も見える。市立図書館みたいだな、と思う。二階に戻ると学生用の業務をするカウンターがあって、階段の入り口付近にロッカーが並んでいたようだ。卒業してしまったから、本は借りられないな、と思う。図書館下の中央食堂に行くと、数脚の会議机の上に寸胴鍋やヴァットを置いて、料理を配っている。地上に上がると芝生の中庭になっている。明るい中庭では、女子学生たちが楽しそうに談笑している。


 目覚めた後、鮮明な夢を思い返していると、まるでそれに引きずられるように、別の日に見た夢を細部まで思い出す。覚醒中には忘れ去っていると思われた夢のイメージが、実際には意識下に保存されていたことがわかる。夢を思い出すことにより、無意識が意識と一旦つながると、意識下領域に保存されたイメージが、意識の領域に芋づる式に引き揚げられるらしい。





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