旧ソ連製の腕時計 《ズィム》 十五石 深みのある緑色のギョーシェ彫り文字盤 マースレニコフ時計工場 1958 - 59年


ムーヴメントの種類 Зим 2602

ケースの直径 34 mm ※ 竜頭とラグを除く。



 1950年代末に製作された旧ソヴィエト連邦の時計。緑色の文字盤はギョーシェ彫りが施され、カナブンやタマムシの鞘翅のように深みのある色調を得ています。突出部分を除くケースの直径は、三十四ミリメートルです。





 本品のケースはオーソドックスな円型です。ベゼルはブロンズ製、裏蓋はステンレス・スティール製で、ベゼルにはクロムめっきが施されています。ラグ(バンドを取り付けるための突起)はバネ棒式で、適合するバンド幅は十八ミリメートルです。


 時計において、時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を「文字盤」(もじばん)または「文字板」(もじいた)といいます。

 現代の時計は「中三針(なかさんしん)式」といって、時針、分針、秒針がいずれも文字盤の中央に取り付けられています。しかしながら秒針を文字盤の中央に取り付ける加工は難しく、中三針式の時計は 1960年代に入って以降にようやく普及しました。1950年代以前の時計は、どの国で製造された物であっても、六時の位置に秒針が付いています。このような方式を「小秒針式」(スモール・セカンド式)といいます。本品も小秒針式です。





 文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を、「インデックス」(英 index)といいます。本品のインデックスは白色のアラビア数字で、文字盤の緑色を背景に、優れた視認性を確保しています。

 十二時のインデックスの少し下には、キリル文字の筆記体で「ズィム」(Зим)と書かれています。「ズィム」(Зим)は「ザヴォティミェニ・マースリニカヴァ」(露 Завод имени Масленникова マースレニコフ時計工場)から三文字を取って作ったブランド名です。マースレニコフ時計工場はモスクワから東南東に 870キロメートルほど隔たった都市サマーラ(Самара)にあり、1990年まで存続しました。

 文字盤の最下部には「ズデラノ・ヴェセセール」(露 Сделано в СССР エセセール製)と書かれています。「エセセール」(СССР)とは「サユース・サヴィエーツキク・サツィアリスティーチスキク・リスプーブリク」(露 Союз Советских Социалистических Республик ソヴィエト社会主義共和国連邦)の略称です。





 キリル文字で表記されたロシア語は別にしても、本品の文字盤には西側の時計には無い特徴があり、東西陣営が争った冷戦時代を髣髴させる興味深い作例となっています。

 インデックスの様式は、年代ごとに流行が異なります。大体の傾向として、西側諸国では、1940年代以前のインデックスはすべてアラビア数字です。1950年代の時計では、アラビア数字と線状のインデックスが混用されます。1960年代の時計では、線状のインデックスのみが使われます。

 一方、本品のインデックスは、まもなく 1960年代が始まろうという時期に製作された時計であるにもかかわらず、すべてアラビア数字となっています。西側では十年以上前に廃れたアラビア数字インデックスが採用された文字盤には、ソヴィエト連邦の製品を時に特徴づける保守性が現れています。

 しかしながら西側と東側では、インダストリアル・デザインの時代的変遷に食い違いがあります。本品は古典的なアラビア数字インデックスを採用する一方で、この時代の西側の時計にはまだ見られないカラー文字盤を有します。西側でカラー文字盤の時計が作られるのは 1970年代であり、1950年代末の本品は西側の時計デザインを十年以上も先取りしています。





 本品は文字盤に彫金細工を施し、緑色のカラー文字盤としています。文字盤の彫金は、まず最初に縦方向の平行線を描き、ギョーシェ彫りを重ねています。平行線の間隔は十二時と六時の間が最も広く、左右両端に近づくにつれて狭まっており、中心を通らない面で木材を縦断した際の、材に現れる木目模様を思わせます。

 「ギョーシェ彫り」とはフランス語で「ギヨシャージュ」(仏 guillochage)と呼ばれる彫金技法のことで、「ギヨシェ」(仏 guilloché)または「ギヨシ」(仏 guillochis)と呼ばれる弧状の溝を交差させるように刻んでゆきます。本品の文字盤に施されたギョーシェ彫りは、十二時側と六時側の外側、ケースからずっと離れたところに円の中心を想定し、二方向に広がる弧を描きます。水面に投げた二個の小石から同心円状の波が伝わり、重なり合うのと似ています。

 およそ 0.3ミリメートル間隔で規則正しく刻まれた数百本のギヨシェ(溝)は、回折格子の役割を果たします。エマイユに似た半透明の緑をこの上に載せると、緑色の層を透過した可視光がギヨシェに当たって回折し、甲虫の鞘翅やモルフォ蝶の構造色と同様の深い輝きを呈します。この輝きは、残念ながら写真で再現できません。





 ケースの裏蓋はこじ開け式で、ケースのシリアル番号と思われる数字が刻印されています。この裏蓋は磁石に弱く吸着します。材質は表示されていませんが、ステンレス・スティール製と思われます。





 本品の機械は「ズィム キャリバー 2602」で、11 1/2リーニュの十五石手巻きムーヴメントです。本品の受けには「十五石」(15 камней)の表示、及びムーヴメントのシリアル番号(41467)が刻印されています。

 上の写真で右端に写っている金色の環状部品は、機械式時計の心臓部分である「天符」(てんぷ)です。「ズィム キャリバー 2602」の天符はグルシデュール(Glucydur)製で、チラネジが有るものと無いものがありますが、本品はチラネジが無い方式です。スイスの時計ムーヴメントでは、ムーヴメントのメーカー名とキャリバー名が天符の下に刻印されている場合が多いですが、本品においても同様に、天符の下にキリル文字で「ズィム 2602」(Зим 2602)と刻印されています。

 「ズィム キャリバー 2602」のひげぜんまいは、外端を時計の裏蓋側に持ち上げた「巻き上げひげ」です。「巻き上げひげ」はアブラアン・ブレゲというフランス人時計師が考案した仕組みで、この人の名前を取って「ブレゲひげ」(Breguet hairspring, spiral Breguet) とも呼ばれています。巻き上げひげ(ブレゲひげ)が変形すると修正は困難ですが、本品の巻き上げひげ(ブレゲひげ)は歪みが無く、たいへん良い状態です。





 「ズィム キャリバー 2602」のオシドリは 1957年までがネジ式で、1958年以降はプッシュ式です。また円穴車のネジは 1959年までは二本で、それ以降は一本です。本品はオシドリがプッシュ式、円穴車のネジが二本ですから、製作年は 1958年ないし 1959年に絞られます。

 時計マニアを自称する素人には、旧ソ連製の時計を不当に低く評価する人がいますが、筆者(広川)にはその理由がわかりません。「ズィム キャリバー 2602」はフランスのリップ社が設計したムーヴメント「リップ キャリバー R26」と同じもので、毎時一万八千振動(f = 18000 A/h)、パワー・リザーヴ三十七時間の極めてまともな機械です。「キャリバー 2602」は 1953年からおよそ半世紀に亙って作り続けられ、パビェーダ(Победа)、スラーヴァ(Слава)、ヴァストーク(Восток)、ラキェータ(Ракета)にも搭載されました。

 本品のムーヴメントは、如何なる問題も無い良好な状態です。上の写真は文字盤を外して地板を撮影しています。巻き上げ・時刻合わせ機構に腐食等の問題は無く、、完璧に動作します。裏押さえも折れていません。キチ車、鼓車にも損耗はありません。





 バンドはお好きな色、質感、長さのバンドに替えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り替えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。本品のバンド幅は現代の多くの時計と同じ十八ミリメートルですので、バンドが傷んでも、取り換え用のバンドは容易に手に入ります。着用例を示した上の写真では、金属製バンドを取り付けてみました。

 時計は無料(追加料金無し)でオーバーホールをした後にお渡し致します。当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。

 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 68,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




男性用(男女兼用)腕時計 商品種別表示インデックスに戻る

男性用(男女兼用)腕時計 一覧表示インデックスに戻る


腕時計 商品種別表示インデックスに移動する


時計と関連用品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップ・ページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS