フランス・インダストリアルデザインの傑作 《リップ バシュマコフ cal. R874》 ステンレス・スティール製ブレスレット、手巻ムーヴメントの稀少モデル 身に着ける芸術品 1971年頃

Lip Baschmakoff, Lip R 874 (AS cal. 1901), 17 rubis, circa 1971


時計を裏返して測ったケース本体のサイズ 縦 35.0 x 横 32.0 mm  ※ 突出部分を除く。

厚さ 11.0 mm


適合する手首のサイズ 周囲 16 - 19 cm



 スイスとの国境から70キロメートルほど西にある都市ブザンソン(Besançon ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ドゥー県)は、フランスの時計産業の中心地です。フランス最大の時計会社であるリップは 1867年にブザンソンで創業し、1977年まで存続しました。1960年代から 70年代のリップ社は、他分野のデザイナーを大胆に起用して、ユニークな時計を次々に発表しました。本品バシュマコフ(Baschmakoff)はその最初の作品となった斬新な腕時計です。


 《リップ バシュマコフ》 当時の広告 1971 - 74年


 1968年、当時リップの社長であったフレッド・リップマン(Fred Lipmann)は、フランソワ・ド・バシュマコフ(Prince François De Baschmakoff)に時計デザインを依頼しました。フランソワ・ド・バシュマコフは貴族の血を引くデザイナーで、パリの国立高等応用工芸美術学校(L'École nationale supérieure des arts appliqués et des métiers d'art, ENSAAMA)及び国立高等美術学校(L'École nationale supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA)を出て、ファッション雑誌の挿絵や百貨店の広告で活躍していましたが、時計産業とは無縁でした。時計デザインの伝統にとらわれないフランソワ・ド・バシュマコフは、従来の時計に必須であった文字盤とインデックスを取り除き、針を数字を書いた円盤に取り替えて、デジタル表示の時計を作りました。





 上の写真はフランス特許庁の書類で、機械式デジタル・ウォッチの特許がフランソワ・ド・バシュマコフによって 1968年10月14日に申請され、1970年1月26日に認められたことが書かれています。こうして誕生した《リップ バシュマコフ》は 1971年から 1974年までにいくつかのモデルが制作され、1970年代に流行した機械式のデジタル・ウォッチの嚆矢となりました。





 1970年代は自動巻(オートマティック)、すなわち回転錘(かいてんすい ローター)でぜんまいを巻き上げる方式の時計がもてはやされた時代です。ヴィンテージ時計(アンティーク時計)として残っている《リップ バシュマコフ》は数がたいへん少ないですが、それらもほとんどすべてがオートマティックです。上の写真の広告には、長方形ケースのバシュマコフが三点描かれています。真ん中の "42 964" は本品とそっくりですが、このモデルを含む長方形ケースの三点は、いずれもオトマティーク(オートマティック)と書かれています。しかるに本品はおそらく "42 991" というモデルで、たいへん珍しい手巻き式です。本品の制作年代は、バシュマコフの中でも最も初期の 1971年と考えられます。





 時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)をケース(英 case)といいます。《リップ バシュマコフ》はどのモデルも珍しいですが、ステンレス・スティール製バンドがケースの上に被さった本品は、とりわけ入手困難な稀少モデルです。本品が適合する手首周りのサイズは 16センチメートルから 19センチメートルです。





 時計において時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を文字盤(もじばん)または文地板(もじいた)、文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの目印をインデックス(英 index)といいます。通常の時計では二本または三本の針が文字盤上を回転し、インデックスを指し示します。


 通常の時計において、たとえば短針がインデックスの3と4の間、長針が 6を指していれば、3時30分です。3.5時6分ではありません。長針を読む場合は一周が60分なので、長針が 6を指していれば、6を30と読み替えます。

 古典ギリシア語で割合のことをロゴス(希 λόγος)といいます。「割合に基づく」という意味の形容詞はアナロゴス(希 ἀνάλογος)です。割合に基づく計算はアナロギア(希 ἀναλογία)といいます。針が付いた時計で時刻を読むときは、長針一周が60分という基準に基づき、割合を計算して分を読むので、アナロギア(割合の計算)に基づいて読む時計をアナロガス・ウォッチ(英 an analogous watch 仏 une montre analogique)、略してアナログ・ウォッチ(英 an analogue/analog watch 仏 une montre analogue)と呼んでいます。

 これに対して本品には小さな覗き窓に赤い線が引いてあり、線の下に並ぶアラビア数字を左から順に読むと、それがそのまま時刻を表しています。たとえば3時30分15秒であれば、赤い線の下には左から順に 3, 30, 15の数字が並んでいます。本品は時刻を読む人に割合に基づく計算(アナロギア)を要求せず、時刻を直接的に指し示すので、デジタル・ウォッチ(英 a digital watch 仏 une montre digitale)といいます。ラテン語で指をディギトゥス(羅 DIGITUS)といい、その形容詞形はディギターリス(羅 DIGITALIS)です。デジタル・ウォッチはいわば指さすように数字を提示し、時計の使用者は数字をそのまま読んで時刻を知ることができます。





 デジタル・ウォッチという言葉で、現代人は液晶表示の時計を思い浮かべますが、本品の特許が出願された 1968年にそのような技術は存在していませんでした。本品のデジタル表示は、数字を書いた円盤を回転させ、現在時刻にあたる部分を小窓に表示することで実現しています。上の写真は本品のムーヴメントをケースから取り出して撮影しています。本品のムーヴメントには文字盤も針もインデックスも存在せず、従来の時計の常識からかけ離れた姿をしています。





 本品の小窓から見える数字は、回転盤の一部です。小窓の向かって右側に、リップ社の特徴的なロゴが刻印されています。同じロゴはブレスレットの留め金にも刻印されています。





 電池で動く時計をクォーツ式、ぜんまいで動く時計を機械式といいます。現代の時計はほとんどが電池で動くクォーツ式ですが、本品が作られた1970年代初頭にクォーツ式腕時計は市販されておらず、時計はすべてぜんまいで動いていました。

 時計の側面から突出するツマミを竜頭(りゅうず)といいます。機械式時計は竜頭を回転させてぜんまいを巻き上げます。竜頭はクォーツ式時計にも付いていますが、機械式時計はぜんまいの巻き上げと時刻合わせを毎日行うので、操作しやすい大きめの竜頭が付いています。竜頭に続く竜真という部品も、クォーツ式時計に比べて太く丈夫に作られています。





 本品のブレスレットはステンレス・スティール製、ケース本体は真鍮にクロムめっき製、裏蓋はステンレス・スティール製です。《リップ バシュマコフ》のケースは真鍮の塊からできているので、摩滅して穴が開くことは決してありません。しかるに裏蓋は薄いので、真鍮製だと強度が不足する可能性があります。そのような理由で、ブレスレットに加えて裏蓋もステンレス・スティールでできています。





 上の写真はケース裏蓋の裏側で、数字の刻印が見えます。"874" は本品ムーヴメントの機種(Lip cal. R874)を表します。その下にある六桁の数字は、ケースのシリアル番号です。多数の引っ掻ききずが見えるのは分解掃除や修理、整備の記録で、この時計が大切に使われていたことがわかります。実際、本品のムーヴメントはたいへん良好な状態を保っています。





 裏蓋を開けると、美しい金色のムーヴメントが見えます。上の写真の手前(下部)に、大きな環が写っています。これが機械式時計の心臓部で、天符(てんぷ)という部品です。天符の下にはスイス・ア・シールド社のエボーシュ・マーク(AS)とキャリバー名(1900/01)、その下にリップのキャリバー名(R 874)が刻まれています。ア・シールド社のキャリバー 1901(AS 1901)は毎時ニ万一千六百振動 (f = 21600 A/h)、パワー・リザーヴ四十八時間を誇るたいへん優れた機械です。リップ社はこの機械のエボーシュ(仏 une ébauche 半完成品)をア・シールド社から購入し、調速脱進機と主ぜんまい、回転する数字盤を取り付けて、リップ キャリバー R 874(Lip R 874)を完成しています。

 良質の機械式時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはモース硬度「九」と非常に硬い鉱物(コランダム Al2O3)ですので、高級時計の部品として使用されるのです。機械式時計の必要な部分すべてにルビーを入れると十七石(じゅうななせき)のムーヴメントになります。十七石のムーヴメントはハイ・ジュエル・ムーヴメント(英 high jewel movement)と呼ばれ、高精度、長寿命の高級機です。本品の受けには「十七石 スイス製」(英 17 JEWELS, SWISS)の文字が刻まれています。





 AS 1901(Lip R 874)の最大の特長は、通常であれば三番車があるあたりにガンギ車があることです。すなわち天符の中心から遠く離れた位置にガンギ車の軸があるので、天符の直径を大きく取ることが可能になっています。天符が大きいと振動がいっそう安定し、これが歩度(ほど 時間の進み具合)の安定性と正確性につながります。





 実用品である工業製品は、たとえ優れたデザインであっても美術品、芸術品と呼ぶに値しないと思われがちです。西洋ではルネサンス期に入ると、自らを職人よりも格上の芸術家と見做す人々が、作品に署名を入れるようになりました。やがて芸術家たちは実用性を無視した芸術のための芸術、美のための美を標榜する高踏的態度を取って、現実の社会から遊離し始めます。こうして生まれたのが近現代美術の世界です。

 しかるにルネサンス期以前の芸術家たちはみな実用品の職人であって、作品に署名などしませんでした。実用品と言っても日用品とは限らず、祭壇画や聖像彫刻、ステンドグラスなどは、現代人から見れば立派な芸術品です。しかし作品に署名を残すという発想が作者自身に無く、第三者も作者名を記録していません。その結果非常に優れた作品であっても作者名が分からないので、作品に基づいて「何々のマイスター」と呼ばれている例は枚挙にいとまがありません。筆者(広川)が思うに、職人芸術家のこのような仕事こそ地に足を着けたアルス(羅 ARS 技術、アート)の姿であり、血と肉を備えた人間の生活を彩るにふさわしいと言えましょう。





 アンティーク時計の楽しみは、二度と再現できない「その時代ならではの物」を手に入れることでしょう。《リップ バシュマコフ》はインダストリアル・デザインの傑作であり、上に述べた観点から、十分に芸術品の名に値します。それに加えて本品は機械の状態が良好で、実際に使うことが可能です。お買い上げいただいた方には必ず喜んでいただけることと思います。

 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払いでもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。遠慮なくご相談くださいませ。





248,000円 税、オーバーホール代込み

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




男性用(男女兼用)腕時計 商品種別表示インデックス メーカー名《HからN》 に戻る

男性用(男女兼用)腕時計 一覧表示インデックスに戻る


腕時計 商品種別表示インデックスに移動する


時計と関連用品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップ・ページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS