黒文字盤の稀少モデル 《グリュエン カウント》 キャリバー 370 1950年

GRUEN CURVEX 《COUNT》 black dial, cal. 370, 17 jewels



 1950年にアメリカのグリュエン社が発売したモデル、「カウント」("Count" 英語で「伯爵」の意)。六十数年前の品物にもかかわらず、保存状態は良好で、きちんと動作します。





 時計内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)を「ケース」(英 case)といいます。本品はケースと文字盤が長方形の「レクタンギュラー型」で、ムーヴメントも長方形に近い形をしています。



 1930年代後半、男女ともに長方形の時計が流行しました。腕時計はもともと女性用の時計として誕生しましたので、1930年代の時点で女性用腕時計は男性用よりも進歩しており、長方形の女性用ムーヴメントが既に登場していました。しかしながらこの時代の男性用ムーヴメントは、円形のものがほとんどでした。したがって流行のデザインで男性用時計を作るには、円形ムーヴメントを使って長方形の時計を作るという難題を解決しなければなりませんでした。

 円形ムーヴメントを使って長方形の男性用時計を作るには、ケースの三時側と九時側に膨らみを持たせる方法があります。この場合ケースは厳密には長方形でなくなりますが、三時側と九時側の膨らみが目立たないように工夫して、長方形ケースに近いデザインを実現することができました。またケースや文字盤を六角形やクッション型にすることで、円形ムーヴメントを用いつつも長方形に近いデザインとする方法もありました。下の写真はそのような工夫によって作られた「四角い男性用時計」で、いずれも円形ムーヴメントを用いています。


(下) 左から順に、「ロード・エルジン 《グレード 531》」(1937年)、「ブローバ 《アメリカン・クリッパー》」(1936年)、「ブローバ 《ライタングル》」(1938年)、「ウエストフィールド 《ハドソン》」(1940年)




 しかしながらこの方法では、ケースの三時側と九時側がどうしても膨らんでしまい、完全な長方形の時計を作ることはできません。円形ムーヴメントを使って完全な長方形の男性用時計を作るには、男性用ケースの幅よりも、直径が小さい円形ムーヴメントを使うしかありません。これは男性用時計に女性用ムーヴメントを搭載することを意味します。

 機械は大きく作るよりも小さく作る方が難しいゆえに、非常に小さなサイズの女性用ムーヴメントは、男性用ムーヴメントよりも高度な技術で製作されているといえます。しかしながらサイズに余裕がある方が、高精度のムーヴメントを作るには有利です。

 当時は「男は外で仕事をし、女は家庭を守る」時代でしたから、男性用時計の精度は女性用時計よりも重視されました。長方形の男性用時計のケースは大きいですが、これに小さな女性用ムーヴメントを入れるならば、せっかくのスペースが無駄になります。逆にケース内の広いスペースを有効利用できれば、精度の向上につながります。それゆえ四角い男性用ムーヴメントの必要性が高まりました。





 しかしながら優れた精度を有する長方形の男性用時計を実現するには、細長いムーヴメントを作っただけでは解決しない困難な問題がありました。男性用の細長い時計は、手首の端から端までに近い長さがあります。それゆえ手首に接する面がまっすぐだと時計の両端が浮き上がってしまい、着け心地が悪いのです。男性用サイズの細長い時計を気持ちよく使うためには、手首の丸みに沿ってケースが湾曲する必要があります。

 外で働く男性のために高精度の細長い時計を作るうえで、この湾曲は大きな障碍になります。男性用サイズの細長いムーヴメントを作ったとしても、湾曲した薄型時計のケースに入れることができないからです。歯車が曲がると回転しませんから、ムーヴメントを曲げるわけにはゆきませんが、細長くまっすぐなムーヴメントを湾曲した薄型時計に入れると、ムーヴメントの両端がケースの内側に当たってしまいます。

 時計の厚みが増しても構わないのであれば、細長くまっすぐなムーヴメントを湾曲したケースに入れることは可能です。しかし 1930年代には薄型時計が流行していましたから、時計の厚みを増すことは論外でした。薄型時計を湾曲させるのであれば、やはり中心部に小さなサイズのムーヴメントを入れるしかありません。「男性用サイズの細長いムーヴメントを、湾曲した薄型時計のケースに入れる」ことができれば理想ですが、これは実現不可能な難題に思われました。







 この問題を見事に解決した画期的な発明が、グリュエン社の「カーヴェクス」(Curvex) ムーヴメントでした。上の写真は 1937年のクリスマス・シーズンにグリュエン社が打った広告で、中央上部にカーヴェクス・ムーヴメント(左)と従来のムーヴメント(右)の断面を示しています。二つの断面を比べると、ケースの容積が同じでも、カーヴェクス・ムーヴメントはケース内のスペースをはるかに有効に利用していることがわかります。

 なお曲がったムーヴメントはスイス、ビール (Biel) の時計師エミール・フレイが 1929年に発明したもので、グリュエン社の発明ではありませんが、特許がグリュエン社に譲渡されたことにより、カーヴェクス・ムーヴメントはグリュエン社のみが製作する名機となりました。グリュエン社のカーヴェクス・ムーヴメントには四種類があって、1935年に「グリュエン キャリバー 311」が、1937年に「キャリバー 330 カスタム・カーヴド (Custom Curved)」が、1940年に「キャリバー 440」が、1948年に「キャリバー 370 カーヴァメトリック (Curvametric)」が、それぞれ開発されました。





 本品は「グリュエン キャリバー 370 カーヴァメトリック (Curvametric)」を搭載した 1950年製の時計です。「カウント」(伯爵)と名付けられた本品は、17石ムーヴメントを搭載した高級モデルで、15石ムーヴメントを搭載したグリュエン社の一般的なモデルに比べて、二倍近い価格で発売されました。

 「グリュエン カウント」は白い文字盤のものがほとんどですが、本品は漆黒の文字盤を有する稀少品です。なお本品の黒い文字盤は時計が製作された当初からのオリジナルで、後に色を変えたものではありません。





 本品のムーヴメント、「グリュエン キャリバー 370」は長方形に近い形で、電池ではなくぜんまいで動く「手巻式」です。電池で動く「クォーツ式」腕時計が普及したのは、1970年代以降のことです。本品が製作された 1950年にはクォーツ式腕時計はまだ存在せず、腕時計はすべてぜんまいで動いていました。

 秒針があるクォーツ式腕時計を耳に当てると、秒針を動かすステップ・モーターの音が一秒ごとに「チッ」、「チッ」、「チッ」 … と聞こえます。デジタル式など秒針が無いクォーツ式腕時計を耳に当てると、何の音も聞こえません。これに対して機械式時計、すなわち本品のようにぜんまいで動く腕時計や懐中時計を耳に当てると、小人が鈴を振っているような小さく可愛らしい音が、「チクタクチクタクチクタク…」と連続して聞こえてきます。





 良質の機械式腕時計、懐中時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。本品のムーヴメント「グリュエン キャリバー 370」は 17個のルビーを使用しています。上の写真ではルビーが四個しか見えませんが、あとの13個は機械の裏側(文字盤側)など、上の写真に写っていない部分に使われています。17個のルビーを使用した「17石」(じゅうななせき)のムーヴメントは、摩耗してはならない個所すべてにルビーを使用した「ハイ・ジュエル」(high jewel) と呼ばれる高級機です。





 上の写真はムーヴメントの受け側、すなわちムーヴメントをケース裏蓋から外すと見える側を撮影しています。「受け」(ブリッジ bridge)と呼ばれる部分に金色の文字で、メーカー名「グリュエン・ウォッチ・カンパニー」(Gruen Watch Company)、十七石ムーヴメントであることを示す「プレシジョン」(Precision 英語で「正確」の意)、「カーヴェクス 特許」(CURVEX patent)、石数を表す「十七石」(SEVENTEEN JEWELS)、製造国名「スイス」 (Switzerland)、ムーヴメントのシリアル番号 (6615459) が刻まれています。

 グリュエン社はオハイオ州シンシナチに本社がありましたが、アメリカでの操業を停止する直前に国内工場で製作した 21石ムーヴメント「トゥエンティ・ワン」を別にすれば、主にスイスからムーヴメントを輸入し、アメリカでケースに入れて歩度(時間の進み方)の最終調整をする、というやり方を創業以来続けました。本品「キャリバー 370」もスイス、ビールにあるグリュエンの自社工場で作られたものです。キャリバー名を表す数字 "370" が、地板の裏、香箱に近いところに打刻されています。







 本品の文字盤は黒を背景に金色の文字で "GRUEN CURVEX"(グリュエン カーヴェクス)、"PRECISION"(プレシジョン)と書かれ、高級感のあるコントラストを見せています。

 文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を、「インデックス」(英 index)といいます。本品のインデックスは「ブレゲ数字」と呼ばれる優雅な斜体のアラビア数字で、ケースと同色の明るい金色をしており、光を美しく反射します。インデックスの外側には一分ごとの目盛が金色で描かれています。

 1960年代から現代に至るまで、立体インデックスの文字盤は、平坦な文字盤に別作の部品を植字して作るのが普通です。ところが本品の文字盤のブレゲ数字は植字ではなく、文字盤に浮き彫りにされています。時計職人の手作りに近い高級品であった1950年の時計と、大量生産品として効率よく生産された後の時代の時計の違いは、このようなところにも表れています。

 黒い文字盤は白い文字盤に比べて変色しにくいですが、本品の文字盤はとりわけ良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。

 現代の時計の秒針は「センター・セカンド」といって、短針、長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。これに対して 1950年代までの時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、「スモール・セカンド」といって、六時の位置に取り付けられています。時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを制作するのは技術的に困難で、「センター・セカンド」が普及するのは1960年代です。1950年代までの時計はほとんどすべて「スモール・セカンド」方式で、本品も例外ではありません。

 針は金色のランス型で、当時のオリジナルです。「ランス」(lance) とは英語で「槍」(やり)のことで、クラシカルなその表情は、ゆったりと時を刻むアンティーク時計に良く似合っています。





 本品のケースは10カラットのゴールド・フィルドです。「ゴールド・フィルド」とは板状の金をベース・メタルに張り付けたものです。現代の金めっき(エレクトロプレート)に比べると金の厚みは数十倍に達し、摩耗に強く、見た目にも高級感があります。グリュエンのゴールド・フィルドは金の層が厚いことで特に知られています。本品のケースに張られている金は 10カラット・ゴールド(純度 10/24のゴールド)で、十八金に比べて金そのものの強度が格段に強く、色の点でも淡く上品なシャンパン・ゴールドをしています。





 クリスタル(風防)は当時のままで、「プレクシグラス」と呼ばれる透明度が高いアクリル樹脂でできています。1950年代は美しく個性的なデザインの時計が華やかに競い合った時代です。本品もケースが湾曲しているだけでなく、左右の一部を削ったようなベゼルや、プリズムのようなクリスタルの形状にも工夫が凝らされています。


(下) グリュエン社による 1950年の広告。時計は人生の節目にふさわしい買い物でした。この広告に描かれているモデルの中で、《カウント》(本品)は最高級品です。




 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内でムーヴメントを製作するエルジン、ハミルトン、ウォルサムの各時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計のみを生産させました。したがってこの三社は、太平洋戦争のあいだ、民生用の時計を作ることができませんでした。

 グリュエンはスイスに自社工場を持っていましたので、太平洋戦争中、わずかながらも民生用の時計作りを継続しました。しかしながらシンシナチにあるグリュエンの本社工場では時計作りを休止して、軍用の精密機器や計器類を製作したため、戦時中に作られるグリュエンの時計は激減しました。

 アメリカの時計各社が民生用の時計を作れずにいる状況は、中立国スイスの時計産業にとって大きなビジネス・チャンスでした。戦前のアメリカ時計産業には力があって、スイスよりも品質の良い時計を作っていましたし、関税による保護も受けていましたので、アメリカ人がスイスの時計を手にする機会はほとんどありませんでした。しかしながら民生用の時計が不足した戦時下のアメリカには、大量のスイス時計が輸入されました。こうして顧客を奪われたアメリカの時計会社は、経営上の大きな打撃を受け、ムーヴメントを自社で開発、生産する力を失ってゆきました。1960年代頃まではスイスのメーカーからムーヴメントを買い、それを時計に入れて売ることでなんとか余喘(よぜん 最後の息)を保っていましたが、それも長くは続きませんでした。





 グリュエン社の工場はビール(スイス)にありましたから、本品「カウント」が搭載する「キャリバー 370」はスイス製であって、アメリカ製ではありませんが、グリュエン社が誇る自社開発、自社製作のムーヴメントです。

 カーヴェクス・ムーヴメントはグリュエンの時計作りの象徴であり、1937年から作り続けられましたが、1948年の「キャリバー 370」(本品)が最後のカーヴェクス・ムーヴメントとなり、1954年頃には「グリュエン カーヴェクス」の生産を終了しました。「キャリバー 370」を搭載した本品、1950年製「グリュエン カーヴェクス 《カウント》」は、1949年の「グリュエン トゥエンティ・ワン」とならんで、グリュエン社が燃え尽きる寸前に放った最後の輝きです。





  本品は男性用として作られた時計ですが、20世紀中葉以前の時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にもお使いいただけます。バンドはお好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。

 当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。


 当店では時計用の箱をご購入いただけます。箱はレプリカ(現代の複製品)ではなく、本物のヴィンテージ品(アンティーク品)です。グリュエン社の箱は別売りですが、時計をお買い上げいただいた方には割引価格でご提供いたします。





 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 178,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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