ハイ・ジュエルのドレスウォッチ

グリュエン・プレシジョン 小さな花の高級アンティーク時計 17石


ムーヴメントの種類: Gruen cal. 215


10Kホワイト・ゴールドによるロールド・ゴールド・プレート(昔の方式による厚い金めっき)のベゼル

ステンレス・スティール製裏蓋

白色文字盤にアラビア数字と小さな円の立体インデックス

銀色のアルファ型針



1940年代後半



 大人の女性にこそふさわしい上質さに、デザインの可愛らしさを併せ持つ高品質のドレス・ウォッチ。電池ではなくぜんまいで動く「手巻き式」のスイス時計で、一円玉よりも小さなサイズです。グリュエン社の女性用時計にはユニークなデザインのものが多いのですが、この時計はとりわけ稀少な品です。





 高級ファッションブランドの製品など、ユニークなデザインの時計は、その年の服に合わせるアクセサリーとして位置づけられています。それゆえにデザインは美しくても耐久性が無く、時計として見ると安物である場合が往々にしてあります。これに対して本品は初めから「時計」として真面目に作られており、17個のルビー製部品を使用した高級なムーヴメント(時計内部の機械)を搭載しています。17個のルビーを使用したムーヴメントには優れた耐久性があり、一生ものとして使うことができます。





【文字盤と針】

 本品の特徴は、何といっても、小さな花のように可愛らしいデザインです。上述したように、グリュエン社の女性用時計はユニークなデザインと高い品質を両立させる良心的な作りで知られます。そういった意味で、このモデルは最もグリュエンらしい時計のひとつといえます。





 文字盤は白色、アール・デコ様式のアラビア数字、及び小さな円形の立体インデックスはいずれも銀色で、良好な視認性を確保しています。文字盤には「グリュエン」(GRUEN)、「プレシジョン」(PRECISION)、「スイス」(SWITZERLAND) の文字が書かれています。「スイス」(SWITZERLAND) の文字列が、花弁形の曲線に沿って、「6」を取り巻くように曲がっているのが目を惹きます。

 本品の文字盤は再生処理を施しておらず、古い時代のオリジナルです。ところどころに小さな変色がありますが、60年以上も前に制作されたものとしては充分に良好なコンディションです。この程度の変色は真正のヴィンテージ時計ならではの趣(おもむき)としてお楽しみください。


【ドレスウォッチとしての位置づけ】

 この時計は秒針が無い「二針」です。これは本品がドレスウォッチに位置づけられていることを示します。




 現代の時計はセンター・セカンド方式(文字盤中央に秒針を取り付ける方式)の「中三針」(なかさんしん)が普通ですが、センター・セカンド方式は製作が難しく、1960年代以降にようやく普及しました。それ以前の時代、男性用時計はスモール・セカンド方式で、小さなサイズの秒針が6時の位置に取り付けられていました。

 男性用ヴィンテージ腕時計のスモール・セカンドは 3, 4ミリメートルの長さしかなく、視認性は良くありません。したがって一分間を正確に測定する場合、腕時計ではなくストップ・ウォッチを使うか、少し無理をしてセンター・セカンド秒針を取り付けた「ドクターズ・ウォッチ」を使うか、いずれかの方法が採られました。センター・セカンド式「ドクターズ・ウォッチ」の場合、秒針は視認性をいっそう高めるために、赤く塗られるのが普通でした。1960年代になってセンター・セカンド秒針が普及しても、秒針を赤く塗る伝統はしばらくの間続きました。1960年代、70年代頃のヴィンテージ・ウォッチの秒針が赤いのは、センター・セカンド式「ドクターズ・ウォッチ」の名残です。

 要するに、私が言いたいのは、「中三針の時計はドレス・ウォッチではなく、作業現場でストップ・ウォッチ代わりに使う時計である」ということです。現代の私たちは、時計の秒針を、付いていて当たり前のものだと思っていますが、もともと時計の秒針とは、作業現場で測定に使うための装置であったのです。


(下・参考画像) 1970年頃の三針式時計、ローマー社の「マーク IV(フォー)」。秒針が赤いのは、センター・セカンド秒針が測定に実用されていた時代の名残です。当店の商品




(下・参考画像) 同じ時代の男性用ドレス・ウォッチ。現場の測定用ではないので、秒針はありません。当店の商品




 いっぽう女性用の場合、ほとんどのヴィンテージ時計のサイズは一円硬貨よりも小さく、文字盤はさらに小さなサイズです。この小さな文字盤の六時の位置に、長さ1ミリメートルほどのスモール・セカンドを取り付けたとしても、小さすぎて見えません。それゆえ女性用アンティーク時計、ヴィンテージ時計には、秒針が無いのが普通です。

 ただしセンター・セカンド式秒針を女性用時計に取り付けることは、技術的には充分に可能でした。実際、女医やナース用腕時計には、赤く塗ったセンター・セカンドが付いていました。しかし一般の女性が秒針付きの時計を買うことはありませんでした。1960年代になっても、70年代になっても、女性たちは秒針の無い時計を使い続けました。

 この事実は、女性用時計がドレス・ウォッチとして位置づけられていたことを示します。女性にとって、時計はおしゃれを引き立たせるジュエリーあるいはアクセサリーであり、決して「現場の測定機器」ではなかったのです。


【この時計のスイス製ムーヴメント、「グリュエン キャリバー 215」について】

 この時計に搭載されている機械は、トノー(樽)形の手巻ムーヴメント、「グリュエン キャリバー 215」です。ムーヴメントとは、時計内部の機械のことです。「グリュエン キャリバー 215」は 17石ムーヴメント、つまり17個のルビーを使用した高級機です。 コンディションはきわめて良好で、天符(てんぷ)の振り角も大きく、スムーズに動作しています。




 電池ではなくぜんまいで動く時計を「機械式時計」といいますが、良質の機械式時計のムーヴメント(時計内部の機械)には、重要な部品の摩耗を防ぐために、ルビーが使われています。ルビーとサファイアはコランダムという鉱物で、いずれもモース硬度「9」と、たいへん硬い宝石です。ルビーを使うのが望ましい箇所は15箇所あって、そのすべてにルビーを入れると17個の石が使われることになります。17石のムーヴメントは「ハイ・ジュエル」(high-jewel) と呼ばれる高性能の機械です。

 上質の機械式ムーヴメントは見た目にもたいへん美しいものですが、この美しさは見せるためにうわべを飾ったのではなく、上質の物に自(おの)ずから備わる美、つまり機能美です。





 因みに1940年代において、ハイ・ジュエルの時計は初任給のおよそ 3カ月分の価格でした。現代のクォーツ時計に比べるとずいぶんと高価ですが、現在スイスで作られている機械式時計も、価格はやはり数十万円です。ほとんどのクォーツ時計には、実はおもちゃのようなプラスチック製ムーヴメントが入っていて、そのせいで安く手に入るようになったのですが、良質の機械式時計の値段は、昔も今も変わりません。


(下) グリュエン社の広告 1941年




 初任給の3カ月分の価格で売られていたハイ・ジュエルの時計は、適切なメンテナンスによって数十年間動き続ける「一生もの」です。「一生もの」である事を考えると、「初任給の2カ月分から3カ月分」という価格は決して高くはありません。現代のクォーツ時計でも、ブランド物を買えば数十万円しますが、クォーツ・ムーヴメントの心臓である「回路」の寿命は、高級時計のメーカー自身が言うところではおよそ七年、長く見積もってもせいぜい十年ちょっとです。

 これで分かっていただけたことと思いますが、もともとの価値の半分以下、ときには数分の一で手に入るアンティーク時計(ヴィンテージ時計)は、たいへんなお買い得品です。故障の際に部品が手に入らないという理由で、アンティーク時計はお買い上げ後の修理、メンテナンスに対応しない「現状売り」となるのが普通ですが、当店では長期に亙り修理に対応いたします。ご安心ください。



 なお当店では、バンドをお好みの素材、デザイン、サイズのものに無料で変更していただくことが可能です。このページの商品写真に写っているコードバンド(ひもバンド)は、金属製バンドに比べて格段にドレッシーです。コードバンドの色を変えることもできます。

 当店独自の時計用バンド変更サービス、及び当店のアンティーク時計に関する全般的な説明は、こちらをクリックしてください


【お勧めポイント】

 この時計が製作された当時、このように質の良い時計の価格は、初任給の3カ月分に相当しました。クォーツ式(電池式)の安価な時計が容易に手に入る現在から見ると、昔の時計は想像もつかないほど高価な品物であったわけですが、製造後数十年経った時計でも普通に使えるという「一生もの」のクオリティを備えていたのであって、いわゆる「ブランド代」ゆえに品質に比べて価格が高すぎる商品とは事情が異なります。初任給3カ月分の価格が付いた商品には、初任給3カ月分の実質的な値打ちがあったのです。

 流行のブランド時計も恰好よくはありますが、所詮は何万本という単位で生産される量産品にすぎません。日常使いが可能で、日々の生活に潤いと上質の華やぎを与えてくれる「一点もの」、あらゆる華やかな場にもふさわしい「一点もの」を、ぜひ生涯の伴侶にお選びください。






【補足 この時計の風防について】




 このようにユニークなデザインのアンティーク時計の場合、機械の修理・メンテナンスとともに大きな問題となるのがクリスタル(風防)交換です。

 時計のクリスタルはサイズや形状が精密に作られているために、通常の丸型や角型であっても適当に合わせることができません。特にこの時計のような特殊な形状のものは、この時計用に製作された専用クリスタルが在庫していなければ、交換することは不可能です。

 機械部品とならんで、当店には数十年前の時計用クリスタルが豊富に在庫してございます。ご購入後の修理・メンテナンスは安心してお任せくださいませ。






グリュエン用のファンシー(変形)・クリスタル。数十年前のデッド・ストック(新品)です。



ブロバ用のファンシー(変形)・クリスタル



エルジン用のファンシー(変形)・クリスタル



スイス時計各社用のファンシー(変形)・クリスタル






本体価格 147,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




【コラム 世界史の流れの中で】

 1517年10月31日、マルティン・ルター (Martin Luther, 1483 - 1546) がヴィッテンベルク大学の聖堂に「95箇条の論題」(Disputatio pro declaratione virtutis indulgentiarum) を張り出したことがきっかけとなって起こった宗教改革は、翌年にはフランスに波及し、宗教戦争の時代となりました。1598年、フランス国王アンリ4世 (Henri IV, 1553 - 1610) は「ナントの勅令」(Édit de Nantes) を発布してプロテスタントに信仰の自由を認めましたが、1685年、ルイ14世 (Louis IV, 1638 - 1715) が「フォンテーヌブローの勅令」(Édit de Fontainebleau) によって「ナントの勅令」を破棄したため、フランス国内のユグノー(プロテスタント)たちはスイスをはじめとする国外に脱出しました。フランスにおいて時計作りに携わっていた人たちにはユグノーが多かったので、ルイ14世の「フォンテーヌブローの勅令」はフランス時計産業の衰退とスイス時計産業の振興の原因となりました。

 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内に工場を持つ時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計を生産させました。日米間の総力戦はすべてのアメリカ国民に仕事をもたらし、高価格品である時計への需要がにわかに高まりました。特に初めて安定した月給を貰って購買力を得た女性たちは、ハイ・ジュエルの高級時計を求めました。ところがアメリカの大手時計会社のうち、エルジン、ハミルトン、ウォルサムはいずれも軍用時計の生産に全力を傾注していたため、民生用時計の需要に応えることができませんでした。

 スイスは四方を枢軸国に囲まれながらも辛うじて中立を保っていました。ヒトラーはスイス侵攻の計画を立てていましたが、これは実現しませんでした。アメリカで時計の需要が高まっているにもかかわらず、アメリカ国内の時計会社が民生用の時計を全く生産できずにいる状況に大きな商機を見たスイス時計各社は、大量の時計をアメリカ向けに輸出し、アメリカ国内に地歩を築きました。

 1945年8月15日、日本が無条件降伏して太平洋戦争は終結しましたが、アメリカの時計各社が工場設備を改めて平時の体制に戻るには時間がかかりました。また軍用時計の生産に専念している間に、市場はスイス時計にすっかり奪われていました。これが遠因となってエルジン、ウォルサム、ハミルトンの国内工場は操業停止に追い込まれ、エルジンとウォルサムは会社そのものが倒産・消滅してしまいます。

 グリュエン社も戦争中は軍用の精密機械を作り、戦争遂行に協力しました。しかしながら同社は創業以来スイス、ビール(Biel ベルン州ビール郡)の工場でムーヴメントを製作していたため、ミリタリー・ウォッチ用に工場設備を強制的に変更させられる事態を免れ、終戦後も同業他社に比べて速く平時の体制に立ち直りました。

 ちなみにベルン州ビールの工場ではグリュエンとロレックスが生産されていました。このためグリュエンの部品、たとえば天真の形状はロレックスのものとよく似ています。また幾つかのムーヴメントはロレックスのものと全く同じです。ビールの中心部にあるかつてのグリュエンの工場は、現在ではロレックスの社屋になっています。





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