十九世紀の香りをとどめる彫金細工 《ブローバ ドリー・マディスン C 1939年式》 ファースト・レディの名を継ぐ八十三年前のアンティーク時計

"DOLLY MADISON (C)" by Bulova, 1939



ムーヴメントの種類: ブローバ キャリバー 6AM (Aurore-Villeret 120, made in Swiss)

ケース(竜頭を除きラグを含む時計本体)のサイズ 縦 24.6 x 横 17.0 ミリメートル  風防と裏蓋を含む厚さ 7.3 ミリメートル



 アメリカのブローバ社が 1939年に制作し小さな女性用時計、ドリー・マディスン。ケースは金張りで、ベゼルに繊細な彫金を施しています。1930年代の時計は、ぜんまいで動く手巻き式です。本品は必要なすべての個所にルビーを入れた高級な機械(ハイ・ジュエル・ムーヴメント)を搭載しています。





 ジェイムズ・マディスン・ジュニア(James Madison, Jr. 1751 - 1836)はアメリカ合衆国第四代大統領で、合衆国憲法の父と呼ばれています。ドリー・マディスン(Dolly Madison, 1768 - 1849)はその妻で、イギリス軍がワシントンに侵攻してホワイトハウスを攻撃したとき、ジョージ・ワシントンの肖像画を避難させたと伝えられます。ホワイトハウスはイギリス軍による砲撃で破壊され全焼しましたが、重要な書類や美術品をイギリスの手から救ったドリーの愛国的行動はアメリカ国民から高く評価され、夫のマディスン大統領をしのぐ人気がありました。ドリー・マディスンはファースト・レイディと呼ばれた最初の女性と言われています。

 本品はアメリカ人なら誰もが知っている大統領夫人の名を冠した腕時計です。本品が制作された 1939年は太平洋戦争が始まった不幸な年ですが、本品はこの年に愛国心が高まったせいでドリー・マディスンと命名されたわけではありません。ドリー・マディスンはアメリカ合衆国で絶大な人気を誇る女性であり、ブローバはドリーの名を冠した時計を 1932年以来販売していました。本品はその 1939年式モデルということになります。

 ミッド・センチュリー(英 mid-century 世紀の半ば)と呼ばれる二十世紀半ばは、男女ともに小ぶりの時計が人気を集めた時代です。本品はケースのサイズが縦 24.6ミリメートル、横 17.0 ミリメートルで、一円硬貨ほどの大きさです。





 時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)をケース(英 case)といいます。 本品のケース裏蓋には十カラット・ゴールド・フィルド(英 10 KARAT GOLD FILLED)の表示があります。下部(六時側)に刻印された七桁の文字列(9565182)は、ケースのシリアル番号です。

 ゴールド・フィルドとは板状の金をベース・メタルに張り付けた素材で、わが国では金張りと呼びます。ゴールド・フィルドは現代の金めっき(エレクトロ・プレート)に比べて金の層が格段に分厚く、優れた耐久性を有するとともに、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は十カラット・ゴールド(純度 10/24のゴールド 十金)で、十八カラット・ゴールド(純度 18/24のゴールド 十八金)に比べて金合金そのものの強度もずっと強く、時計ケースの素材として優れています。

 本品のケースはベゼル側、裏蓋側ともたいへん良好な保存状態です。金の磨滅、裏蓋の歪み等、特筆すべき問題は何もありません。





 時計にバンドを取り付けるための突起をラグ(英 lugs)といいます。現代の時計はケースの十二時側と六時側にそれぞれ二本ずつのラグが突出し、バネ仕掛けで伸縮する小さなピン(バネ棒)により、革や布、金属でできた薄く幅広のバンドをラグに固定する仕組みになっています。しかるに 1930年代から 1970年代頃の女性用時計はとても小さいので、ほとんどの場合、ケースの十二時側と六時側にそれぞれ一本ずつのラグが突出し、バンド末端の金具をラグの孔に引っかける方式が採用されています。この取り付け方をセンター・ラグ方式と呼びます。本品もセンター・ラグ方式の時計です。

 後に述べるように、本品のようなハイ・ジュエルのアンティーク時計は現代の時計に比べると極めて長寿命です。しかしながらアンティーク時計のバンドは、現代の時計と同様に消耗品です。新品として売られていたときのバンドが破損すれば交換する必要がありますし、好みのデザインでなかったり、サイズが合わなかったりするバンドも交換することになります。





 本品はこの時代の女性用時計には珍しい幅広のバンドが付いています。バンドはバネによる伸縮式で、ラグを挟み込む部分には彫金を模した型押しが施され、美しく凝ったデザインとなっています。

 このバンドはジェメクス(GEMEX)というブランドの品物で、時計と同時代のアメリカ製です。バンド本体には材質を示す刻印がありませんが、手首と接する内側にも金が剥落した箇所は無く、時計本体に引けを取らない高品質の金張りと思われます。ジェメクスはこの時代の有名ブランドですが、二本のバンドを並行させた本品の形状は珍しく、女性用アンティーク時計を多く取り扱ってきた筆者(広川)も初めて目にします。手首周りのサイズ、すなわちバネが伸びていない状態で時計を含めて測った装着時の長さは、十五センチメートル強です。時計を手首から脱着する際は、バネの働きによって長さが二十センチメートルほどに伸びて快適に脱着いただけます。

 二本のバンドを並行させているゆえに、このバンドは耐久性においても優れています。長い目で見ればバンド内部のバネが破断することはあり得ますが、その場合でも並行する二本のバンドはそれぞれにバネを内蔵しているので、いずれかの駒のバネが破断しても、バンドの形状と機能は保たれます。なおバンドが壊れた場合や、サイズが合わない場合、別のデザインが良い場合、他のバンドに取り換えることができます。アンティーク時計のセンター・ラグ方式に対応したバンドは、現在ではなかなか手に入りませんが、当店には同時代のさまざまなバンドが在庫しています。どうぞご安心ください。





 時計において、針が動く背景となる板状の部品を、文字盤(もじばん)または文字板(もじいた)といいます。針と文字盤は風防、いわゆるガラスによって保護されています。風防は時計ケースに嵌っています。時計ケースのうち、風防の枠にあたる部分をベゼル(英 bezel 枠)といいます。

 本品《ドリー・マディスン C 1939年式》のベゼルには繊細な彫金が施され、外側をミル打ちで囲んでいます。この彫金(エングレーヴィング)とミル打ちは機械による型押しではなく、ウォッチ・エングレーヴァー(英 watch engravers 時計彫刻師)と呼ばれる専門の職人による手仕事です。

 十九世紀の懐中時計ケースは、しばしば華やかな彫金で装飾されていました。またきわめて高価であった当時の時計には、所有者のイニシアルが彫り込まれることも多くありました。これらはウォッチ・エングレーヴァーの仕事でした。二十世紀に入ってウォッチ(携帯用時計)の主役が腕時計になっても、第二次世界大戦前すなわち 1939年頃までは、腕時計にも懐中時計と同様の彫金がしばしば施されました。戦後になって腕時計が工業製品化し、本格的に普及すると、腕時計のエングレーヴィングは姿を消します。1939年製の本品は、古き良き十九世紀の名残をとどめる最後の腕時計といえます。





 アンティーク時計の文字盤は変色していることも多いですが、本品の文字盤はほとんど変色しておらず、たいへん綺麗です。文字盤は上品な半艶消しで、ともすれば冷たい印象を抱かせる白色あるいは銀白色が、八十数年の歳月によって温かな色味を帯びています。上部中央にブローバのロゴ(BULOVA)があります。

 時計の文字盤には時刻を表す刻み目や数字が配置されており、これをインデックス(英 index)と呼んでいます。本品のインデックスはすべてアラビア数字で、いずれも金色の小部品を植字した立体インデックスとなっています。アンティーク時計のインデックスは文字盤と同様に変色していることが多いですが、本品のインデックスは変色も腐食も無く、きらきらと輝いています。





 インデックスの様式には、時代ごとにはっきりとした流行があります。本品のようにすべてをアラビア数字で表示したインデックスは、1940年代以前に制作された時計の特徴です。アラビア数字の字体も、本品が 1930年代から 40年代にかけて制作された時計であることを示しています。

 針は長短針とも金色のモダン型で、やはり腐食の無い綺麗な状態です。モダン型の針はアンティーク時計に特有で、視認性に優れるとともに、現代品には見られない愛らしい形状が魅力です。なおこの時代の女性用時計は秒針を持たない二針式です。二針式の時計はドレスウォッチです。





 時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)といいます。現代の時計はクォーツ式時計といって、電池で動くクォーツ・ムーヴメントを使っています。クォーツ式時計が普及したのは 1970年代後半以降で、それ以前の時計は電池ではなくぜんまいで動いていました。

 電池で動く時計をクォーツ式時計と呼ぶのに対して、ぜんまいで動く時計を機械式時計といいます。アンティーク時計はすべて機械式時計です。上の写真は本品《ブローバ ドリー・マディスン C 1939年式》のムーヴメントを取り出して撮影しています。本品も機械式時計で、電池ではなくぜんまいで動きます。電池は不要なので、本品のムーヴメントには電池を入れる場所がありません。

 三時の位置から突出するツマミを竜頭(りゅうず)といいます。ぜんまいはこの竜頭を指先でつまみ、回転させて巻き上げます。上の写真で竜頭はムーヴメントの手前に突出しています。本品の竜頭にはブローバのロゴがデザインされています。

 竜頭を指先でつまんで回転させれば、誰でも簡単にぜんまいを巻くことができます。竜頭を一段階引き出して回転させると、時刻合わせができます。これは現代の腕時計と同じです。竜頭の操作(ぜんまいの巻き上げと時刻合わせ)は簡単ですので、アンティーク時計が初めての方でも全く心配はいりません。ぜんまいを十分に巻き上げると、時計は一日半動きます。そのまま放っておくと止まるので、一日一回以上ぜんまいを巻き上げてください。なお時計を長年ご愛用いただいて竜頭が摩耗しても、当店にていつでも取り換え可能ですのでご安心ください。竜頭のデザインを変更することもできます。シンプルな竜頭もありますし、石付きの竜頭もあります。





 ムーヴメントの受け側(裏蓋を開けるとすぐに見える側)には機械の型式名(6AM)の他、ブローバ時計会社(BULOVA WATCH Co.)、セヴンティーン・ジュエルズ(17 SEVENTEEN JEWELS 十七石)、スイス製(SWISS)等の文字が刻まれています。

 良質の機械式時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、高級時計の部品として使用されるのです。必要な部分に余すところなくルビーを入れると、十七石(じゅうななせき)の機械になります。ムーヴメントの表面に赤く見えているのがルビーで、上の写真では五つしか見えませんが、文字盤を外さないと見えないムーヴメントの地板側やムーヴメントの内部を含めると、合計十七個のルビー製部品が使われています。十七石の機械はハイ・ジュエル・ムーヴメント(英 high jewel movement)と呼ばれる高級機です。

 十七石のハイ・ジュエル機を本品のように小型化する時計製作技術は、真に驚嘆に値します。当時のブックレットには、ブローバ社の時計のムーヴメントが特別な鋼鉄を使用して製作されており、その鋼鉄は金よりも高価であること、ムーヴメントを構成する百個以上の部品は一万分の一ミリメートルの精度で製作されていること、歯車のピッチ(歯と歯の間隔)は百分の一ミリメートル以下であること、チラネジという部品は一個のシンブルに一万四千個も入ってしまうこと、などが書かれています。





 ミッド・センチュリー当時のブローバ社はニューヨーク五番街に本社を構えていました。しかしながら同社はほとんどの場合、ムーヴメントの主要部分をスイスで作っていました。そのような理由で、本品のムーヴメントにはスイス製と刻印されています。

 ブローバはムーヴメントのエボーシュ(半完成品)をスイスから輸入し、アメリカ国内で調速脱進機を取り付けて完成する場合が多く、そのようなムーヴメントの受けには、スイス製の表示に加え、アナジャスティド(英 UNADJUSTED 未調整)の文字が刻まれています。調整というのはエボーシュの段階の話で、ブローバ社はこれに主ぜんまいや調速脱進機を加え、調整を行います。ですから時計として完成した段階では、当然のことながら歩度(ほど 時間の進み具合)は調整されています。アナジャスティドの文字はエボーシュの段階の表示が残っているだけですので、ご安心ください。

 なお本機ブローバ 6AMのエボーシュを制作したのは、スイスのオロール=ヴィルレ社(Aurore-Villeret Fabrique d'Ebauches Bernoises S.A.)です。同社はスイス北部の小さな町ヴィルレ(Villeret ベルン州)で1927年に創業しました。本機ブローバ 6AMと同系統のオロール=ヴィルレ キャリバー 120は信頼性が高く、数多くの時計会社に供給されています。





 ブローバ 6AMの十二時付近、上の写真で言えばムーヴメントの左上あたりに、小さな金色の突起がある銀色の大きな環が見えています。これは天符(てんぷ)という部品で、機械式時計の心臓に相当する調速脱進機の一部です。ブローバ キャリバー 6AM(オロール=ヴィルレ キャリバー 120)の天符は 18000振動(f = 18000 A/h)といって、一秒間に 2.5回、一時間に 9,000回の割合で振動(振り子のように往復しつつ回転すること)を繰り返します。

 なお先ほど時計の精密さについて説明した際に言及したチラネジとは、天符に取り付けられている金色の突起のことです。直径数分の一ミリメートルの非常に小さな部品ですが、一本一本がマイナスネジになっています。


 ミッド・センチュリー当時、本品のように質の良い時計の価格は、初任給の二か月分以上に相当しました。現代の貨幣価値でいえば、三、四十万円といったところでしょうか。クォーツ式(電池式)の安価な時計が容易に手に入る現在から見ると、昔の時計は想像もつかないほど高価な品物であったわけですが、製造後数十年経った時計でも普通に使えるという「一生もの」のクオリティを備えていたのであって、いわゆるブランド代ゆえに品質に比べて価格が高すぎる商品とは事情が異なります。初任給二か月分の価格が付いた商品には、初任給二か月分の実質的な値打ちがあったのです。

 クォーツ式時計は数年の寿命で、かなり良いものでも十年余りで回路が壊れて修理不能になりますが、機械式時計は数十年以上のあいだ動く「一生もの」です。1939年製の本品も、八十数年前の時計であるにもかかわらず、ごく普通に動いています。

 機械式時計は現在でも作られています。高級品を紹介する雑誌などで見かける数十万円から数百万円の時計が、機械式時計です。良質の機械式時計の「初任給数か月分」という値段は、昔も今も変わりません。本品の機械はもともとの耐久性が高いうえに、アンティークアナスタシアは古い時計の修理に対応していますので、当店のお客様はこの美しい時計を一生ものとして末長くご愛用いただけます。どうぞご安心ください。





 当店アンティークアナスタシアには古い時代の時計の箱が揃っており、本品は当時の箱に入れてお渡しいたします。箱代は無料です。箱の種類はお客様のご希望をききながら、当店にて適切な種類を選びます。上の写真に写っているのは 1920年代から 1970年代のブローバの箱で、当店在庫の一部です。





 上の写真は女性モデルが本品を着用しています。モデルの手首周りはおよそ十六センチメートルです。


 ブローバ社は 1931年6月15日に女性用腕時計ドリー・マディスン(Dolly Madison)の商標登録を申請し、翌 1932年に発売したバゲット(小さな長方形)型を皮切りに、実に 1960年代までさまざまなタイプのドリー・マディスンを作り続けました。ブローバの女性用腕時計には幾つかの有名なブランド(商標)がありますが、ドリー・マディスンは最もよく知られたものの一つでしょう。

 本品《ドリー・マディスン C 1939年式》は、良質の女性用ハイ・ジュエル機です。手作業のエングレーヴィングを施したベゼルは、本品を十九世紀の香りをとどめる最後の時計としています。エングレーヴィングに囲まれたクッション型文字盤は、真正のアンティーク時計だけが持つクラシカルな魅力となっています。アンティーク時計の中にはもともと質が良い時計であっても、きちんとメンテナンスされていなかったために劣化している品物もありますが、本品は外装及び内部の機械とも良い状態で、たいへん調子よく動いています。特筆すべき問題は何もありません。

 アンティーク時計を安心してご購入いただくために、全般的な解説ページをご用意いたしました。アンティーク時計を初めて購入される方は、こちらをお読みくださいませ。





本体価格 88,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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