指輪のシンボリズム
la symbolique des anneaux




(上) 天然ルビーのリング 推定 8.85カラット 現状は 12 3/4号 当店の商品です。



 本稿では指輪が持つ象徴的意味を論じます。


【自由意志による忠誠の印である指輪】

 指輪は「神や人に対して忠実であることを、自由意志によって誓う印」です。

 アレクサンドリアのクレメンス(Clemens Alexandrinus, Κλήμης Ἀλεξανδρεύς, c. 150 - c. 225)は信徒たちに対して、指輪を身に着けるのであれば、鳩、魚、錨のいずれかを彫った石を嵌め込むように勧めています。は聖霊を表すとともに、神との平和、愛、キリスト者の魂をも象徴します。魚は神の子にして救い主なるイエス・キリストを象徴します(註1)。錨は希望を象徴します(註2)。鳩、魚、錨の指輪は、キリスト者が神とキリストに対して忠実であろうとする信仰心の証しです。




(上) Fra Bartolommeo, "Le Mariage mystique de Sainte Catherine", 1511, huile sur bois, 257 x 228 cm, musée du Louvre, Paris


 修道者の指輪はキリストとの神秘的婚姻を象徴します。上の油彩板絵では、シエナの聖カタリナ(Santa Catarina da Siena, 1347 - 1380)が幼子イエスから結婚指輪を受けています。


【霊の出入りを妨げる魔法の輪としての指輪】

 ジェイムズ・フレイザー(Sir James George Frazer, 1854 - 1941)は「金枝篇」("The Golden Bough - A Study of Magic and Religion", 1890)二十一章十一節「結び目と指輪の禁忌」("Knots and Rings tabooed")において、結び目の禁忌を詳細に論じた後、指輪の象徴的機能について述べています。該当箇所の原テキストを、日本語訳とともに示します。日本語訳は筆者(広川)によります。筆者の訳は正確ですが、逐語訳ではありません。

      The rule which prescribes that at certain magical and religious ceremonies the hair should hang loose and the feet should be bare is probably based on the same fear of trammelling and impeding the action in hand, whatever it may be, by the presence of any knot or constriction, whether on the head or on the feet of the performer. A similar power to bind and hamper spiritual as well as bodily activities is ascribed by some people to rings.     特定の魔術的あるいは宗教的儀式において、髪を括ってはならず、履物を履いてもいけないとされるのは、儀式の進行を邪魔し、妨げることを恐れるからであろう。儀式を行う者の頭であれ、足であれ、そこに何らかの結び目や作り物があるならば、儀式の進行が、それがどのような形であれ、邪魔され、妨げられることが有り得るからだ。身体の活動のみならず霊的活動を、これと同様に縛り妨げる力は、指輪にもあると考えられている。
     Thus in the island of Carpathus people never button the clothes they put upon a dead body and they are careful to remove all rings from it; “for the spirit, they say, can even be detained in the little finger, and cannot rest.” Here it is plain that even if the soul is not definitely supposed to issue at death from the finger-tips, yet the ring is conceived to exercise a certain constrictive influence which detains and imprisons the immortal spirit in spite of its efforts to escape from the tabernacle of clay; in short the ring, like the knot, acts as a spiritual fetter.    たとえばカルパトス島(註3)では死者に着せる服のボタンを決して留めず、また全ての指輪を死者から外す。かれらによると、これは「死者の霊が小指に留まってしまい、安らえないこともある」からだ。人の死に際して、霊魂は必ずしも指先から出て行くとは考えられていないが、指輪が何らかの制限力を及ぼすという観念が、ここにはっきりと読み取れる。不死の霊魂は土でできた仮の宿リ(註4)を出てゆこうとするが、指輪が有する制限力によって拘束され、閉じ込められてしまうのだ。一言でいえば、指輪は結び目と同様に、霊に対して枷(かせ)の働きをするのである。
     This may have been the reason of an ancient Greek maxim, attributed to Pythagoras, which forbade people to wear rings. Nobody might enter the ancient Arcadian sanctuary of the Mistress at Lycosura with a ring on his or her finger. Persons who consulted the oracle of Faunus had to be chaste, to eat no flesh, and to wear no rings.    ピュタゴラスに由来するとされる古代ギリシアの格言が、指輪を身に着けることを禁じているのは、これが理由であった可能性がある。古代アルカディアにはデスポイナの聖所があったが(註5)、指輪を着けてこの聖所に入ることは禁じられていた。またファウヌスの神託を求める者は貞潔でなければならず、肉食を断ち、指輪を身に着けてはならなかった。
         
      On the other hand, the same constriction which hinders the egress of the soul may prevent the entrance of evil spirits; hence we find rings used as amulets against demons, witches, and ghosts. In the Tyrol it is said that a woman in childbed should never take off her weddingring, or spirits and witches will have power over her.     他方、霊魂が出てゆくのを妨げる同じ制限力により、悪霊が体に入ることも不可能となる。それゆえ指輪は悪魔や魔法使い、幽霊から身を守る護符となる。チロル地方では、産褥にある女性は結婚指輪を決して外してはならない。精霊や魔女が産婦に力を及ぼさないためである。
         
      Among the Lapps, the person who is about to place a corpse in the coffin receives from the husband, wife, or children of the deceased a brass ring, which he must wear fastened to his right arm until the corpse is safely deposited in the grave. The ring is believed to serve the person as an amulet against any harm which the ghost might do to him.     ラップ人の間では、死者を納棺する人が、納棺作業の前に、死者の夫、妻、子供たちから真鍮の輪(註6)を受け取る。死者が無事埋葬されるまで、この輪を右腕に着けておかなければならない。この輪は護符であって、幽霊が及ぼすあらゆる危害を防ぐと考えられている。
     How far the custom of wearing fingerrings may have been influenced by, or even have sprung from, a belief in their efficacy as amulets to keep the soul in the body, or demons out of it, is a question which seems worth considering. Here we are only concerned with the belief in so far as it seems to throw light on the rule that the Flamen Dialis might not wear a ring unless it were broken. Taken in conjunction with the rule which forbade him to have a knot on his garments, it points to a fear that the powerful spirit embodied in him might be trammelled and hampered in its goings-out and comings-in by such corporeal and spiritual fetters as rings and knots.    指輪は護符であって、霊魂を身体の内に留め、悪霊が身体に入るのを防ぐわけだが、指輪にこのような働きがあるとする信仰が、指輪を嵌める習慣にどれほど大きな影響を与え、あるいは指輪を嵌める習慣の起源となったのかという問題は、考察に値しよう。フラーメン・ディアーリス(註7)は壊れていない指輪を身に着けてはならなかった。ここで我々が指輪の信仰に関心を持つのは、フラーメン・ディアーリスに関する上記の掟の解明に役立つと思われる限りにおいてのみである。フラーメン・ディアーリスの衣には結び目があってはならなかった。指輪の掟を結び目の掟と関連で考えれば、フラーメン・ディアーリスにおいて身体を与えられた力有る霊が、指輪や結び目のような身体的あるいは霊的な枷により、出入りを障害されるといけないからであることがわかる。


 「アラビアン・ナイト」、及び「アラジンと魔法のランプ」では、主人公が魔法の指輪を手に入れます。いずれの物語においても魔法の指輪にはジン(精霊)が閉じ込められており、指輪から呼び出されたジンは主人の意のままに命令に従います。ジンを閉じ込める指輪の能力は、フレイザーが「金枝篇」で指摘した指輪の呪力に他なりません。



【魔法の輪であるとともに魔法の鍵でもある指輪 ― 結婚指輪に見る魔術的思考】




(上) エミール・アドルフ・モニエ作 《メダイユ・ド・マリアージュ》 結婚のメダイユ 直径 20.2 mm フランス 1910 - 30年代 当店の商品です。


 魔術において、聖所、宝物庫、秘密の物の在処(ありか)は、魔法の輪によって守られます。指輪もまた、魔法の輪が有するのと同様の機能を有します。すなわち指輪は聖所や宝物庫、秘密の場所を守る魔法の輪です。また指輪はその持ち主に対して、守られた場所に立ち入る権能を与えるゆえに、魔法の輪を開く鍵でもあります。


 指輪を「魔法の輪」と見做し、同時に「魔法の鍵」でもあると考えるのは、古代人や未開人に限ったことではありません。このような魔術的思考に裏付けられた習俗の例を現代に求めるならば、結婚指輪の交換がまさにこれに当たります。

 結婚指輪を左手の薬指に嵌めるのは、愛の座である心臓と左手の薬指が、「ウェーナ・アモーリス」(羅 VENA AMORIS 「愛の血管」の意 註8)によって繋がっているからです(註9)。配偶者の心臓は愛の座であり、婚姻関係において独占的に守られるべき場所です。しかしながら心臓は体内にあって、箍(たが)すなわち魔法の輪を嵌めることができません。それゆえ配偶者の左手薬指に指輪を嵌め、愛の座を守る魔法の輪の代用とします。


 魔法の輪は部外者にとって越えられない障壁ですが、魔法使いは指輪を使って魔法の輪を自由に越えることができます。それゆえ指輪は、魔法の輪そのものであるとともに、魔法の輪を解く鍵でもあります。魔法使いが地面に魔法の輪を描き、それを指輪で開閉する場合、「地面に描いた魔法の輪」と「魔法使いが手に嵌めている指輪」は、ふたつの物でありながら、同一性を有します。

 配偶者間で交換される結婚指輪も、「地面に描いた魔法の輪」と「魔法使いが手に嵌めている指輪」の場合と同様に、ふたつの物でありながら同一性を有します。すなわち配偶者に結婚指輪を贈る人は、配偶者の左手薬指に指輪を嵌めることによって相手の愛を独占するとともに、配偶者から贈られる同一の指輪を嵌めることによって、相手の愛の座に立ち入ることができる鍵を手に入れます。指輪を贈られる立場から言えば、配偶者から与えられた結婚指輪を左手薬指に嵌めることによって、自らの愛を相手の専有物とするとともに、同一の指輪を配偶者に贈ることによって、愛の座に立ち入ることができる鍵を相手に与えます。二本の結婚指輪が同一の意匠であるのは、愛の座を守る魔法の輪と魔法の輪を解く鍵が同一性を有するからです。結婚指輪の交換は、互いの愛の座を魔法の輪で囲むとともに、魔法の輪を解く唯一の鍵を互いに与え合う儀式なのです。


【残された問題】



(上) William Etty, "The Imprudence of Candaules", 1830, Oil on canvas, 451 x 559 mm, Tate リュディア王カンダウレースと妃ニュッシア、及び妃の裸体を覗き見るギュゲースを描いたウィリアム・エティの作品


 指輪に関しては、他にも次のような問題が残されています。

1. ソロモンの指輪

2. ギュゲースの指輪

3. ニーベルンゲンの指輪

 これらの残された課題については、追って考察を加える予定です。



註1 魚がキリストの象徴とされるのは、「イエースース・クリストス・テウゥ・ヒュイオス・ソーテール」(Ἰησοῦς Χρειστὸς Θεοῦ Υἱὸς Σωτήρ ギリシア語で「イエス・キリスト、神の子、救い主」の意)というフレーズにおいて、各単語の頭文字を並べると、「イクテュス」(ἰχθύς ギリシア語で「魚」の意)という単語ができることによります。


註2 錨が希望を象徴するのは、下に示した「ヘブライ人への手紙」六章十九節の聖句によります。

  わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。 (新共同訳)

 「錨」は「魚」や「善き羊飼い」と並んで、初期キリスト教徒に最も愛用された象徴的図像のひとつです。下の写真はローマの聖セバスティアヌスのカタコンベに見られるキリスト教徒の線刻で、墓碑銘 (ATIMETVS AVG VERN VIXIT ANNIS VIII MENSIBVS III EARINVS ET POTENS FILIO) の左に錨、右に魚を刻んでいます。ちなみに魚はキリストの象徴ですが、これは「イエス・キリスト、神の子、救い主」(Ἰησοῦς Χριστός Θεοῦ Ὑιός Σωτήρ) というギリシア語のフレーズにおいて、各単語の頭文字を並べると、「魚」(ἰχθύς イクテュス)という単語ができることによります。



 錨が希望の象徴であるのは、古代に限ったことではありません。下の写真は二十世紀初頭のフランスで刷られた絵はがきです。この図像において、少女は錨に繋がるロープを持ち、胸に手を当てて祈っています。絵の下部には「レスペランス」(仏 L'Espérance 希望)と書かれています。




註3 カルパトス(Κάρπαθος)は、エーゲ海南東部、ドデカネス諸島にあるギリシアの島。


註4 "the tabernacle of clay"(土の幕屋、土くれでできた仮の宿リ)とは、肉体のこと。「創世記」二章七節他。


註5 リュコスーラ(Λυκόσουρα)はペロポンネソス半島の中央よりも少し西寄りにある古代遺跡で、地の女神デスポイナ(Δέσποινα)の神殿がありました。デスポイナとはギリシア語で「女主人」「支配する女」という意味で、ポセイドーン(Ποσειδῶν)とデーメーテール(Δημήτηρ)の娘とされます。


註6 この輪は指輪ではなく、腕輪でしょう。


註7 「フラーメン・ディアーリス」(羅 FLAMEN DIALIS 単数主格形)とは、ラテン語で「神の祭司」という意味ですが、ユピテルの祭司を指してこのように呼びます。「フラーメン・ディアーリス」は人の姿を取ったユピテルであり、この神の化身です。フレイザーは「金枝篇」十三章からローマの王について論じ、二十一章までの九か所で「フラーメン・ディアーリス」に言及しています。


註8 ラテン語「ウェーナ」(VENA)は「静脈」を表す近代語(vein, veine, Vene, et al.)の語源です。しかしながらウィリアム・ハーヴェイ(William Harvey, 1578 - 1657)が血液循環を発見するよりも以前の文献において、「ウェーナ」は「血管」と訳すのが妥当です。なぜならばハーヴェイ以前の時代には、静脈のみが血液の通り道であると考えられていたからです。我々が「動脈」と呼んでいる導管の存在は、古代や中世の医学においても知られていました。しかしながら当時の医学において、動脈は血管ではなく、呼吸器と考えられていました。

 「動脈」を表す近代語(artery, artère, Arterie, et al.)は、古典ギリシア語「アルテーリア」(ἀρτηρία)に由来します。しかるに「アルテーリア」の中心義は「気管」です。これは解剖される死体の動脈中に血液が見出されないために、動脈は血管ではなく、気管から分岐する呼吸器系臓器であると考えられたことによります。

 中世医学の「アルテーリア」(羅 ARTERIA)は、呼吸に関与するエーテル様(よう)液体の導管であると考えられました。「アルテーリア」を満たすエーテル様液体は、英語では「スピリチュアル・ブラッド」(英 spiritual blood 霊的血液)または「ヴァイタル・スピリッツ」(英 vital spirits 生命の霊液)と呼ばれました。

 ちなみにここでいう「エーテル ÆTHER」(アイテール αἰθήρ)とは、古代及び中世の自然学において天体を形作るとされた「第五元素」のことです。有機化学では酸素原子に有機基二つが結合した化合物を「エーテル」(ether, éther, Ether)と呼びますが、これとは無関係です。


註9 「ウェーナ・アモーリス」(羅 VENA AMORIS)という語の初出文献は、イギリスの教会法学者ヘンリー・スウィンバーン(Henry Swinburne, 1551- 1624)の著作、「結婚契約論」("A Treatise of Spousals or Matrimonial Contracts: Wherein All the Questions relating to that Subject are ingeniously Debated and Resolved", London, 1686)です。



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