車輪
la roue




(上) 車大工の一家。プリニー=サン=ピエール(Pouligny-Saint-Pierre サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏アンドル県)付近で撮影された写真 Une famille de charrons, environ de Pouligny-Saint-Pierre


 車輪は円形であるゆえに、円と同じく完全性に関わります。しかしながら円が静止し不変である一方で、車輪は循環、創始、更新の象徴であり、絶えざる生成と消滅、偶有性にも関わります。それゆえ車輪は一定の不完全性を含意します。ニコラウス・クザーヌスは世界を入れ子になった輪または球と表象しています。


【ケルトとインドにおけるコスモスの車輪】




 嵐を司るケルトの天神タラニス(Taranis)はしばしば車輪を持つ姿で現されます。ガロ=ロマン期のフランスにおいて、ユピテルはタラニスと習合しました。上左の図はユピテル=タラニスで、ベヤール=シュル=マルヌ(Bayard-sur-Marne グラン・テスト地域圏オート=マルヌ県)にあるル・シャトレ・ド・グルゾン(Le Châtelet de Gourzon)の出土品です。ル・シャトレ・ド・グルゾンは旧石器時代から盛期中世に至る複合遺跡です。

 フランス各地ではカヴァリエ・ア・ランギペード(仏 le cavalier à l'anguipède)と呼ばれる群像が発見されていますが、これらの群像において、馬上のユピテルは車輪を持っていることがあります。上の写真の右側は彫刻家ドニ・メランジェ(M. Denis Mellinger)氏によるカヴァリエ・ア・ランギペードの再現です。メランジェ氏の作品はロレーヌ地域圏ヴォージュ県北東部のケルト遺跡ラ・ビュール(le camp celtique de la Bure)に設置されています。ラ・ビュールは紀元前二世紀から紀元四世紀に至る複合遺跡です。

 タラニス及びこれと習合したユピテルが持つ車輪は、太陽の象徴であるとも、北極星を中心に回転するコスモスの象徴であるとも、稲妻に伴い天を揺り動かす雷鳴を戦車の車輪に可視化したものとも考えられています。アイルランド神話の大ドルイドであるマグ・ロト(Mag Ruith)はダグダ(Dagda 註2)の化身ですが、イチイ材でできた車輪を持っています。その車輪の音を聞く者は聴力を失い、車輪を見る者は失明し、車輪に轢かれた者は死に至ります。車輪はグンデストルップの大釜(le Chaudron de Gundestrup)にも打ち出されています。


(下) グンデストルップの大釜(部分)




 車輪において象徴的機能を担うのは、輻(や スポーク)が中心から放射する形状と、回転する動きです。世界を象徴する車輪において、中心にあって動かない一点は世界原理を、放射状の輻は世界原理からの発出を、リムは世界原理から産み出される諸事物を象ります。

 アイルランドのマグ・ロトは自らは静止しつつ世界を転がすのであり、この点においてインドのチャクラヴァルティン(Cakravartin 転輪聖王)と顕著な類似性を有します。インドにおいて、回転する車輪への言及はヴェーダ文献に見られます。コスモスの車輪は回転によって絶えざる更新を生み、空間及び分節化された時間がそこから生じます。

 車輪は全体が回転しますが、中心点のみは不動です。これと同様に世界はすべての部分が変化しますが、コスモスの車輪の中心点のみは不易不変です。コスモスの車輪において、大きさの無い中心点はそれ自体が不動でありつつ、他のすべてを回転させます。それ自体は不動でありつつ全コスモスを回転させる中心点は、神や転輪聖王、仏陀が占める場所と考えられます。


【仏陀の輪法】



(上) 輪宝 銅に鍍金 直径 13.5センチメートル 鎌倉時代 奈良国立博物館蔵


 仏陀が転がす輪宝(法輪)をサンスクリット語でダルマチャクラ(darmachakra)といいます。ダルマは法すなわち人間の運命のことであり、チャクラは太陽神ヴィシュヌが持つ円盤です。ダルマチャクラの回転する方向は何者によっても変えられ得ないゆえに、フランスの神秘思想家ルネ・ゲノン(René Guénon, 1886 - 1951)はこれを西洋の運命の輪になぞらえました。

 サーンキヤ学派において智者は壺を作り終えた陶工に譬えられますが、智者の生はここに留まらず、あたかも車輪が慣性によって転がり続けるように、更なる先へと進みます。上座部仏教の「清浄道論」によると、人生の長さとは思想が持続する長さであり、それゆえ人生はただ一点において接地する車輪になぞらえることができます。チベット仏教のカーラ・チャクラ(時輪)は不断に変化する存在様態を図像化しています。


【月または太陽を象徴する車輪】



(上) Mircea Eliade, "Traité d'histoire des religions", 1949


 車輪は太陽の象徴でもあります。ルーマニア出身の宗教学者でシカゴ大学神学部教授を務めたミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade 1907 - 1986)は、1949年初版の著書「宗教史論」("Traité d'histoire des religions")三章において、太陽を象徴する車輪を論じています。これについては別稿で扱います。

 ゾディアック(仏 zodiaque 黄道帯)の語源はゾーディアコス・キュクロス(希 ζῳδιακός κύκλος 生命の環)ですが、これはもともと太陽ではなくに関わります。ゾディアックは古代アラビアにおいて「イシュタルの帯」と呼ばれました。イシュタルは月の女神です。バビロニア人はゾディアックのそれぞれの星座を月の家と考えていました。


【輻の数に基づく象徴性】

 最も単純な車輪は輻が四本です。四本の輻は四つの方角を表すとともに、新月から上弦の半月、満月、下弦の半月を経て新月に回帰する月の四相、及び四つの季節を象徴します。

 六本の輻を有する車輪は太陽を象徴するとともに、キー・ローのクリスムを連想させます。仏教、ジナ教、ヒンドゥー教の文脈における六本の輻は、輪廻の六道を表します。

 最も普通に見られるのは八本の輻を持つ車輪です。八本の輻は八つの方角を可視化したものであり、これは八葉の蓮で表されることもあります。仏教における八本の輻は、八正道を表します。


【「エゼキエル書」と「ダニエル書」における車輪】

・「エゼキエル書」十章一節から十七節



(上) 十四世紀イングランドの重要な写本、「ド・リール・ソルター」("De Lisle Psalter" 「ロベルト・ド・リール詩篇」)に描かれた六翼のケルビム。「エゼキエル書」の記述に基づき、足下に車輪状のものが表されています。大英図書館所蔵 Alanus ab Insula, "De sex alis Cherubim", from "De Lisle Psalter", c. 1308 - 1340, The British Library


 「エゼキエル書」には預言者エゼキエルによるたびたびの幻視が記録されており、一章と十章にはケルビムが登場します。「エゼキエル書」十章の全体(一節から二十二節)を、新共同訳により引用します。

     1     わたしが見ていると、ケルビムの頭上の大空の上に、サファイアの石のようで、形は王座のように見えるものがあるではないか。それはケルビムの上に見えた。
     2    主は亜麻布をまとった者に向かって言われた。「ケルビムの下の回転するものの間に入れ。そして、ケルビムの間にある燃える炭火を両手に満たし、それを都の上にまき散らせ」と。彼は、わたしの目の前で入って行った。
     3    その人が入って行ったとき、ケルビムは神殿の南側に止まっており、雲が中庭を満たしていた。
     4    主の栄光はケルビムの上から立ち上がり、神殿の敷居に向かった。神殿は雲で満たされ、庭は主の栄光の輝きで満たされた。
     5    ケルビムの翼の羽ばたく音は外庭にまで聞こえ、全能の神が語られる御声のようであった。
         
     6     主が亜麻布をまとった人に命じて、「火を、回転するものの間、ケルビムの間から取れ」と言われたので、彼は来て、車輪の傍らに立った。
     7    すると、ケルビムのひとりが、手をケルビムの間から、ケルビムの間にある火に向かって伸ばして火を取り上げ、亜麻布をまとった者の両手に置いた。その人は火を受け取って、出て行った。
     8    ケルビムには、その翼の下に、人間の手の形が見えていた。
         
     9     わたしが見ていると、四つの車輪が、ケルビムの傍らにあるではないか。一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らに、また一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らにというように、それぞれの傍らにあって、それらの車輪の有様は緑柱石のように輝いていた。
     10    それぞれの形の有様は、四つとも同じで、一つの車輪がもう一つの車輪の中にあるかのようであった。
     11    それらが移動するときは、四つの方向に進み、移動するときに、向きを変えることはなかった。先頭のケルビムが向かうところに他のものも従って進み、向きを変えなかったからである。
         
     12     ケルビムの全身、すなわち、背中、両手、翼と、車輪にはその周囲一面に目がつけられていた。ケルビムの車輪は四つともそうであった。
     13    それらの車輪は「回転するもの」と呼ばれているのが、わたしの耳に聞こえた。
     14    ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、そして第四の顔は鷲の顔であった。
     15    ケルビムは上った。これがケバル川のほとりでわたしが見たあの生き物である。
     16    ケルビムが移動するとき、車輪もその傍らを進み、ケルビムが翼を広げて地上から上るとき、車輪もその傍らを離れて回ることはなかった。
     17    ケルビムが止まると、車輪も止まり、ケルビムが上ると、車輪も共に上った。生き物の霊がその中にあったからである。
         
     18     主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。
     19    ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。
     20    これがケバル川の河畔で、わたしがイスラエルの神のもとにいるのを見たあの生き物である。わたしは、それがケルビムであることを知った。
     21    そのそれぞれに四つの顔と四つの翼があり、翼の下には人間の手の形をしたものがあった。
     22    これらの顔の形は、まさしく、わたしがケバル川の河畔で見た顔であった。それらは同じような有様をしており、おのおのまっすぐに進んで行った。
          「エゼキエル書」 十章 新共同訳

 出エジプトの幕屋においても、ソロモン神殿においても、ケルビムは地上における神の座でした。バビロニアによってソロモン神殿が破壊されたいま、神は神殿から出て、捕囚のユダヤ人たちとともにおられます。「エゼキエル書」十章十八節には「主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった」と書かれています。車輪を伴うケルビムが神の座であるならば、神の王座には車輪がついていることになります。次に引用する「ダニエル書」では、まさにその通りの幻視が記述されます。


・神の王座の車輪 ― 「ダニエル書」七章九節から十節

 「ダニエル書」七章九節から十節には、預言者ダニエルが幻視した「日の老いたる者」が描写されています。新共同訳により、該当箇所を引用します。引用にあたり改行を省きました。

     9.    なお見ていると、王座が据えられ、「日の老いたる者」がそこに座した。その衣は雪のように白く、その白髪は清らかな羊の毛のようであった。その王座は燃える炎。その車輪は燃える火。
     10.    その前から火の川が流れ出ていた。幾千人が御前に仕え、幾万人が御前に立った。裁き主は席に着き、巻物が繰り広げられた。
         「ダニエル書」七章九節から十節 新共同訳

 日の老いたる者とは、黙示文学において神を指す表現です。上記引用箇所九節は、神の王座を燃える炎に譬えています。神の王座には車輪が付いていて、燃える火に譬えられています。また十節では神の玉座の前から火の川が流れ出ています。これらの表現における火と炎は、神が敵を滅ぼし給う恐るべき力を表します。


【偽ディオニシウス・アレオパギタの「エゼキエル書」解釈における車輪】

 ディオニシウス・アレオパギタ(羅 Dionysius Areopagita 希 Διονύσιος ὁ Ἀρεοπαγίτης)とは、アレオパゴスの議員ディオニシウス(「使徒言行録」十七章三十四節)という意味です。キリスト教思想史で言う偽ディオニシウス・アレオパギタは紀元五百年頃の重要な教父で、その著作群(ディオニシウス文書)がアレオパゴス議員ディオニシウスのものとされたために、偽ディオニシウス・アレオパギタと呼ばれています。

 ディオニシウス文書はヨーロッパの思想と文化に深甚な影響を及ぼしました。神学者たちは聖書に次ぐ権威をディオニシウス文書に認め、頻りに引用しました。ディオニシウス文書の「天上位階論」第一章三節によると、可感的事物の美は神の美を分有したものであるゆえに、人間の魂が神に向かって上昇する助けとなります。この思想はやがてサン・ドニ修道院長シュジェに受け継がれ、ステンドグラスの光に彩られた壮麗なゴシック聖堂を生み出すことになります。

 既に引用した「エゼキエル書」十章十一節によると、それぞれのケルブの傍らには四つの車輪があり、「それらが移動するときは、四つの方向に進み、移動するときに、向きを変えることはなかった」と書かれています。偽ディオニシウス・アレオパギタによると、ケルビムの車輪が常にまっすぐに前進するさまは、地上に属さない完全な回転により、ケルビムの知性が常に正しい方向に進むことを表します。

 十章十三節で「回転するもの」と訳されたヘブル語ガルガル(galgal)には、「啓示」という意味もあります。神の御姿を支える火の車輪は、不易不変の善を絶えず巡ることにより、自ら動く能力を得ています。それと同時にこれらの車輪は、最も卑しき者を最も高次の光で照らし、低次の世界にある知性を霊的に高めるゆえに、隠されていたものを露わに示す能力を有するといえます。


【錬金術における車輪 ― フルカネッリの著作より】



(上) Furcanelli, "Les Demeures Philosophales", 1930


 フルカネッリ(Furcanelli)は十九世紀から二十世紀にかけて活動した錬金術師で、「主教座聖堂の秘密」("Le Mystère des Cathédrales", 1926)と「賢者の住まい」("Les Demeures Philosophales", 1930)の著者です。フランスの錬金術師ウジェーヌ・カンスリエ(Eugène Léon Canseliet, 1899 - 1982)はフルカネッリの弟子で、両書の前書きを書いています。カンスリエは 1916年から 1922年にかけてフルカネッリとたびたび会い、フルカネッリが 1922年に賢者の石を見出したときには助手を務めていました。カンスリエによると、フルカネッリは 1839年頃の生まれですが、神の賜物すなわち永遠の生命を獲得しました。カンスリエは 1953年にセビジャで師に再会したと語っています。フルカネッリが 1839年生まれであれば、カンスリエはセビジャで 113歳の師に会ったことになります。

 フルカネッリは「主教座聖堂の秘密」の中で、錬金術における車輪の象徴性について次のように言及しています。日本語訳は筆者(広川)によります。筆者の訳はフランス語テキストの意味を正確に日本語に移していますが、こなれた文となるように心がけたため、逐語訳ではありません。

      Au Moyen Age, la rose centrale des porches se nomma rota, la roue. Or, la roue est l'hiéroglyphe alchimique du temps nécessaire à la coction de la matière philosophale et, par suite, de la coction elle-même. Le feu soutenu, constant et égal que l'artiste entretient nuit et jour au cours de cette opération, est appelé, pour cette raison, feu de roue.     中世において、ポルシュ(仏 le porche 西側正面の玄関口)の薔薇窓はロタ(羅 ROTA 車輪)と名付けられていた。しかるに錬金術では賢者の石を得るために原料を加熱しなければならないが、車輪はこの過熱に要する時間の象徴であり、更には加熱そのものの象徴でもある。錬金術の火が「車輪の火」と呼ばれるのは、この理由による。錬金術師が昼夜に亙る過熱を行う際、火は同じ強さで燃え続けなければならない。
      Cependant, outre la chaleur nécessaire à la liquéfaction de la pierre des philosophes, il faut en plus un second agent, dit feu secret ou philosophique. C'est ce dernier feu, excité par la chaleur vulgaire, qui fait tourner la roue.    一方、賢者の石を融解させるには、これに必要な熱に加えて、さらに第二の働き手が必要である。これを秘密の火、あるいは賢者の火という。この火が卑俗なる熱によって掻き立てられ、車輪を回すのである。
         
         
 フランスの錬金術師ド・ニュイスマン(Clovis Hesteau de Nuysement, c. 1550/60 - 1623/24)の著作「賢者の秘められた真の塩に関する論攷」("Tractatus de Vero Sale Secreto Philosophorum")によると、車輪が有するこの象徴性は超自然的な力が天地を行き来し、それによって天上界と俗界を繋ぐさまを表します。フルカネッリは上記引用箇所に続き、「賢者の秘められた真の塩に関する論攷」から次の詩句を引いています。日本語訳は筆者(広川)によります。
         
     Remarque seulement les traces de ma roue    わが車輪の通り道にのみ注意を向けよ。
     Et pour donner partout une chaleur égale    いずくにも等しき熱を加うるには、
     Trop tôt vers terre et ciel, ne monte ni dévale.    天に昇るにも地に降るにも急ぐべからず。


【その他】



(上) アンリ・ドロプシ作 翼ある車輪に乗るフォルトゥーナ 「熟慮が富をもたらす」 クレディ・アンデュストリエル・エ・コメルシアル創業百周年記念メダイユ 直径 58.8 mm 厚さ 6.5 mm 重量 105.2 g フランス 1959年 当店の商品です。


 車輪は場所からの移動と解放、ならびに素早い動きを表します。上の写真はアンリ・ドロプシ(Henri Dropsy, 1885 - 1969)がフランスの大手銀行クレディ・アンデュストリエル・エ・コメルシアル(CIC)のために制作した創業百周年の記念メダイユで、富と幸運の女神フォルトゥーナを浮き彫りにしています。翼のある車輪に乗るフォルトゥーナを捕まえるには、熟慮とともに素早い判断が必要です。




註1 胎蔵曼荼羅の中央部には、中台八葉院と呼ぶ八葉の蓮がある。中台八葉院の中心には大日如来が、八葉の各弁には八つの方角を司る如来と菩薩が描かれる。

註2 太陽神ルー(Lugh, Lug)に継ぐ第二の神格。



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