生命を象徴する赤と緑
rouge et vert - le symbolique de vie par les deux couleurs





(上) エモー・ブレサンのブローチ une broche d'émail de Bresse 直径 31ミリメートル ブルカンブレス、フランス 当店の商品です。


 色彩は光によって生み出されますが、光そのものに色があるわけではありません。ここで筆者(広川)が言うのは白色光が無色だということではなくて、赤色光、青色光などあらゆる光が呈する色は、光の本質をありのままに捉えているのではないという意味です。赤、青などの色は、人間による認識とは無関係に、光が独自に有する属性ではありません。人間が感覚器官を通して受容した光の有り様(よう)、具体的に言えば電磁波の振動数(周波数)が、感性と悟性のシェーマ(独 Schema 図式)に従って処理され、色覚が生じるのです。

 自然現象を観察する際、我々は外界をありのままに認識できていると思い込みがちですが、色をはじめとするあらゆる事象は人間の知性によって処理され、適合的な形式になって受容された現象(フェノメノン 希 φαινόμενον φαίνω《現れる》の中動相現在分詞)、英語で言えばアピアランス(英 appearance 様相、見え方)に過ぎないことを、われわれは忘れるべきではありません。外界の客観的反映と思われがちな自然科学分野のデータでさえ、「人間にのみ通じる」という最も根源的な意味の主観性から逃れることはできないのです。




(上) Johann Wolfgang Goethe, Farbenlehre, Ungekürzte Ausgabe, Einleitungen und Erläuterungen von Rudolf Steiner, Verlag Freies Geistleben, Stuttgart, 1979 ゲーテ 「色彩論」 ルドルフ・シュタイナーによる解説付 当店の商品です。


 このことを思うとき、色に関連して筆者が思い出すのは、ゲーテの色彩論です。ゲーテはニュートンの光学に反論を試みて、色彩学の独自の体系を築きました。ゲーテの色彩学はその物理学的前提において間違いだらけであり、科学者にはまったく相手にされませんでした。しかしながら上に述べたように、色覚をはじめとする我々の感覚、知覚は人間独自のものであり、最も根源的な意味において主観性を有します。このことを思えば、ゲーテの色彩論は物理学的側面において否定されつつも、生理的・心理的側面においては十分な評価に値します。

 「対立と調和」はゲーテの思想を貫くテーマですが、これは色彩学においても同様です。ゲーテは互いに対立する二色である《黄》と《青》を色彩の基礎と考え、黄はオレンジ色を経て深紅へと、青は紫を経て深紅へと、それぞれ上昇(独 steigern)すると考えました。すなわち対立する黄と青は、最高位の色である深紅において、上昇による一致を達成します。他方、黄と青が単なる混合によって一致すると緑が生じます。この色相環は閉じていて、調和した全体を為します。残像現象からもわかるように、色相環上で正反対の位置にある二つの色は互いに求め合い、対立しつつも調和します。

 実際、現代の色彩学においても、深紅と緑は対比補色です。残像が対比補色に色づいて見えるのは、対比補色の関係にある二色が互いを誘導するからです。ゲーテの色相環上で正反対の位置にある二つの色は、ライプニッツの「予定調和」におけるような有機的調和を希求します。したがってゲーテにおける対立色は単なる補色ではありませんが、二色が互いを誘導する事実に変わりはありません。対立色同士の誘導を、ゲーテはフォルデルンク(独 Forderung 要求)と表現しました。ドイツ語の動詞フォルデルン(独 fordern 要求する)は副詞フォアデア(独 vorder 前に)を語源とし、「目の前に連れて来る」が原意です。対立色同士の誘導にフォルデルンの語を用いるのは、「有機的調和の希求」というニュアンスをよく表現するとともに、対立色が残像に現れる様(さま)を巧みに表す用語法と思えます。




(上) シノーペーのユダヤ人女性 Franz Lipperheide, „Blätter für Kostümkunde : Historische und Volkstrachten“, 1876 - 1887


 筆者(広川)がここでさらに思い起こすのは、ヨーロッパの紋章学で使われるシノプル(仏 sinople)という色名です。シノプルは緑色のことですが、この語の語源であるラテン語シノーピス(羅 SINOPIS)は、黒海南岸のシノーペー(希 Σινώπη)で採れる赭土(しゃど、あかつち)を指します。赤を表す語がどのようにして緑を表すに至ったのか、筆者は理解することができず、長い間不思議に思っていました。しかしながら赤と緑が対比補色であること、とりわけゲーテの色彩学においては互いに希求し調和し合う関係にあることを考えれば、このような語意の変化は必然的とは言えないまでも、一見して思えるほど不自然でも不合理でもないことに気付きます。赤と緑が対比補色であるという事実は、この二色に自然本性的なつながりがあることを示しています。

 議論の最初に断ったように、色覚は人間の感性と悟性のシェーマ(図式)を通して得られるものである以上、赤と緑の間に人間の認識とは無関係に独立したつながりがあるわけではありません。人間に固有的な色覚の体系においてのみ、赤と緑は自然本性的なつながりを有します。そうであるからこそ却って、この二色のつながりは人間の自然本性的思考を、あるいは思考以前の自然な感覚を、忠実に反映しているということができます。

 血の色である赤は、古来《生命の象徴》とされてきました。その一方で、成長する植物の緑もまた《生命の象徴》です。色彩が有するこのような象徴性は、一見したところ、時代と地域を限った文化的コンテクストにおいてのみ論じられるべき問題と思われがちです。しかしながら文化的事象は数千年に亙る歴史に深く根を下ろし、最も深い部分において人間の自然本性そのものに接します。むしろ人間の自然本性そのものに発し、数千年に亙って受け継がれたのが、色の象徴性をはじめとする文化的事象であるといえましょう。したがって対比補色あるいは対立色の関係にある赤と緑が、象徴的意味においてこのように共通するという事実は、これら二色のつながりが人間の自然本性に発することの証左であると、筆者(広川)は考えます。



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