フランスにおけるメダイユ芸術の歴史 ―― アンシアン・レジーム期から第一帝政期まで
l'Histoire des médailles françaises - de l'ancien régime jusqu'au 1er empire



 フランスにおけるメダイユ芸術の発達史は、作品の様式と社会的位置付けにより、いくつかの時期に分けることができます。ここではアンシアン・レジーム期から第一帝政期について概説いたします。


【ジェルマン・ピロンとギュイヨーム・デュプレ】

 フランスで制作された最古のメダイユは、王室専属の職人による15世紀のもので、ゴシック様式とルネサンス様式が混淆していました。

 1572年、彫刻担当の長官職 (Controleur général des effigies) が創設されて、マニエリスムの彫刻家ジェルマン・ピロン (Germain Pilon, c. 1528 - 1590) が初代長官に就任しました。ジェルマン・ピロンはルーブルやサン=ドニ聖堂にある数々の有名なブロンズ像、大理石像の作者ですが、メダイユも制作しています。

(下) "Henri III de France" attribuée à Germain Pilon, argent, 28.60 g, 40 mm




 1602年、メダイユ彫刻家ギュイヨーム・デュプレ (Guillaume Dupré, c. 1576 - 1643) が造幣局長官 Controleur des poinçons et monnaies de France) に任じられ、勅許により、ルーブル宮の一角に鋳造所を設けました。デュプレがその生涯に鋳造したおよそ60枚のメダイユは、ルネサンス期のイタリアのメダイユに比肩する美しさを有します。また技術的にも非常に優れており、17世紀、18世紀を通じて、デュプレの作品に匹敵するメダイユは制作されていないと言っても過言ではありません。

(下) Guillaume Dupré, "Maria Maddalena of Austria, Grand Duchess of Tuscany (1589-1631)", 1613, bronze, hollow cast. Bowdoin College Museum of Art, Brunswick, Maine




【絶対王政を支えたルイ14世のメダイユ】

 1647年、ジャン・ヴァラン (Jean Varin/Warin, c. 1596 - 1672) が造幣局長官に就任すると、メダイユ制作のあり方、あるいはメダイユに求められる機能が大きく変化します。すなわちルイ14世の宰相コルベール (Jean-Baptiste Colbert, 1619 - 1683) は、1663年にフランス学士院 (Académies des inscriptions et belles-lettres) を創設して、芸術の分野においても中央集権化を推し進め、メダイユの分野でもルイ14世の生涯を表す連作の制作が計画されましたが、ヴァランはその指揮を執りました。

 メダイユ連作「ルイ14世」の唯一の意図は、国王の統治及びフランスの優秀性を内外に向けて宣伝することであり、メダイユ制作は国家によって強力に統制されていました。メダイユ彫刻家が作品を自由にデザインする余地はなく、国家によって承認を受けた御用画家によるスケッチを写すしかありませんでした。またこれらの宣伝用メダイユは打刻によって効率的に大量生産されたものでした。そのような点で、これらの宣伝用メダイユはルネサンス以来のメダイユ、すなわち彫刻家が個人のために鋳造し、ひとつひとつ手作業で仕上げる芸術品とは性格が大きく異なっていました。


【第一帝政期のメダイユ】

 1789年、フランス革命が起こってアンシアン・レジームが崩壊すると、メダイユ芸術を取り巻く状況も変わります。ナポレオンは国家によるメダイユ統制の重要性を理解し、遠征中もパリから図案を送らせて目を通すほどでした。ナポレオンの芸術顧問を務めたヴィヴァン・ドゥノン (Dominique Vivant, baron Denon, dit Vivant Denon ou Dominique Vivant Denon, 1747 - 1825) はメダイユ彫刻家でもありましたが、1804年にフランス国立博物館局長 (directeur général des musées français) に就任し、「ローマ賞」にメダイユ彫刻部門を設けました。これによってメダイユ彫刻は絵画、彫刻、建築と並ぶ地位を獲得しました。




(上) Andrieu et L. Jaley, "Napoléon I", 1805, bronze, 33 mm, National Maritime Museum, Greenwich, London


 上に示したのはヴィヴァン・ドゥノンがふたりのメダイ彫刻家に制作させたナポレオンのメダイユで、ウルム及びメミンゲンの陥落を記念しています。ナポレオン1世時代のメダイユは、このように新古典主義のデザインから未だ脱却していません。メダイユのデザインが19世紀ならではのものになるのは、ロマン主義が興隆する時代、概ね1820 - 30年代以降です。



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