フレデリック・ヴェルノン
Charles-Frédéric Victor Vernon, 1858 - 1912



 フレデリック・ヴェルノン 1900年頃の写真


 フレデリック・ヴェルノン (Charles-Frédéric Victor Vernon, 1858 - 1912) は典雅なアール・ヌーヴォー様式の作品群で知られるメダイユ彫刻家です。フレデリック・ヴェルノンの略歴は、次の通りです。


【ローマ賞と、1889年のパリ万博】

 フレデリック・ヴェルノンは 1858年11月17日にパリに生まれ、母親だけの片親家庭に育ちました。フレデリック少年は、母親の知人であったメダイユ彫刻家ポーラン・タッセ (Ernest Paulin Tasset, 1839 - 1921) の工房で彫刻の手ほどきを受け、またジュール=クレマン・シャプラン (Jules-Clément Chaplain, 1839 - 1909) も父親の代わりとなって少年を指導しました。

 1879年、フレデリックはエコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts, École nationale supérieure des Beaux-Arts 国立装飾美術学校)に入学し、ダヴッィド・ダンジェの弟子であるジュール・カヴリエ (Pierre-Jules Cavelier, 1814 - 1894) の下で彫刻を学びます。

 シャプランの助言により1881年のローマ賞メダイユ部門に初めて応募したフレデリックは二等に入選し、二度目の応募となる1884年にも最終選考に残りました。1887年、三度めに挑戦したローマ賞で、フレデリックは遂に一等を獲得し、続く三年間をローマで過ごしました。なお留学中の1889年、ローマからパリ万博に送った新作の浮き彫りは、銅メダルを獲得しています。


【ル・サロン】

 1881年、当時のフランス公教育芸術省大臣ジュール・フェリー (Jules Ferry, 1832 - 1893) により、「フランス芸術家協会」(la Société des Artistes de France) が創設されました。この前年の1880年まで、エコール・デ・ボザールが「ル・サロン(サロン展)」を主催していましたが、1881年以降は「フランス芸術家協会」がル・サロンを主催するようになります。

 フレデリックは1884年、ローマ賞の最終選考に残ったのと同じ年に、ル・サロンで三等を獲得しました。1896年には、サロンを主催する「フランス芸術家協会」に加入しています。


【ローマ留学後】

 ローマ留学からパリに戻ったフレデリック・ヴェルノンは、ルイ・オスカル・ロティ (Louis Oscar Roty, 1846 - 1911) の強い影響を受けて、繊細な絵画のような作風を確立します。ヴェルノンが次々に制作する作品はいずれも高い評価を受けました。ヴェルノンはその美しい作品により、サロン展において1892年に二等、1895年に一等を獲得し、1900年のパリ万博では金賞を受賞しています。レジオン・ド・ヌール章シュヴァリエを受章したのもこの頃です。1907年にはサロン展名誉賞を受賞しました。

 フレデリック・ヴェルノンは1909年、シャプランの死去に伴い、フランス学士院アカデミー・デ・ボザール(l'Académie des Beaux-Arts 美術アカデミー)の会員に選ばれ、エコール・デ・ボザールのメダイユ彫刻部門の指導も任されました。


 フレデリック・ヴェルノンの息子ジャン・ヴェルノン (Jean Vernon, 1897 - 1975) も、メダイユ及び丸彫りの彫刻家として知られています。アカデミー・デ・ボザールが現在も授与している「フレデリック及びジャン・ヴェルノン浮き彫り賞」(Prix Frédéric et Jean de Vernon - Gravure) は、ヴェルノン父子の業績を記念しています。




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