オギュスタン・デュプレ
Augustin Dupré, 1748 - 1833





(上) ダヴィッド・ダンジェによるオギュスタン・デュプレ像 フランス国立図書館 貨幣・メダイユ部門蔵
  Pierre-Jean David d’Angers, "Augustin Dupré", 1833, bronze, d. 17,2 cm, Département des Monnaies, Médailles et Antiques, BnF, Paris


 オギュスタン・デュプレ (Augustin Dupré, 1748 - 1833) は第14代フランス貨幣彫刻師長 (le Graveur général des monnaies) を務めたメダイユ彫刻家です。


【オギュスタン・デュプレの貨幣彫刻】

 オギュスタン・デュプレは 1748年10月6日、フランス南東部のサン=テティエンヌ(Saint-Etienne ローヌ=アルプ地域圏ロワール県)で生まれました。サン=テティエンヌは16世紀以来武器生産で知られ、少年デュプレも武器の彫刻師の下で仕事を始めています。

 1770年代初め、オギュスタン・デュプレはパリに移りました。オギュスタン・デュプレが制作した初期のメダイユ数点は、1776年、パリにあった娯楽施設「ル・コリゼ」(註1)で展示されています。またオギュスタン・デュプレはルイ16世の肖像を製作した功績により、国王自身の推薦を得て、王立造幣局(パリ造幣局)における第13代フランス貨幣彫刻師長ベンジャマン・デュヴィヴィエ (Pierre-Simon-Benjamin Duvivier, 1728 - 1819) の補佐役に就任しました。


 フランス革命に伴って貨幣を全面的に改鋳することになると、1791年4月、立憲議会の下でコンペティションが行われ、ルイ金貨(ルイ・ドール Louis d'or)にはオギュスタン・デュプレの作品が選ばれました。(註2)

 このルイ金貨はフランス語で「ルイ・コンヴァンシオネル」(Louis conventionnel 立憲ルイ貨)、あるいは自由の守護神像が刻まれているゆえに「ルイ・オ・ジェニ」(Louis au génie 守護神付ルイ貨)と呼ばれます。「ルイ・コンヴァンシオネル」は新古典主義のデザインで、ギリシア彫刻風の守護神像を中心に、法を記した石盤、リクトルの束棹(そっかん)、フリジア帽といった古代のモティーフを散りばめています。





 オギュスタン・デュプレは 1791年7月11日、立憲議会によって第14代フランス貨幣彫刻師長に任じられ、1サンチーム(= 1/100フラン)貨、5サンチーム貨、1デシーム(= 10サンチーム)貨、5デシ-ム貨等、数種類の硬貨のデザインも手がけました。1795年には、エルキュール(ヘラクレス)をモティーフに、5フランのエキュ貨を制作しています。1803年3月12日、第一統領ナポレオン・ボナパルトに解任されるまで、オギュスタン・デュプレはフランス貨幣彫刻師長の地位に留まりました。

 オギュスタン・デュプレがフランス貨幣彫刻師長であった当時の道具類や書類はいったん散逸しましたが、一部は再び集められました。オギュスタン・デュプレに関連するコレクションは、フランス国立図書館の貨幣・メダイユ部門、及びカルナヴァレ美術館で目にすることができます。


 なおオギュスタン・デュプレがエルキュール(ヘラクレス)をモティーフに制作した貨幣デザインは、1792 - 1799年、1848 - 1849年、1870 - 1878年、1965 - 1973年(10フラン貨)、1974 - 1977年(50フラン貨)、1996年(5「フラン記念硬貨)にも採用されました。このデザインにおいて、エルキュールは自由と平等を守る人民の力を象徴します。エルキュールの右側(向かって左側)でウィンディクタ(VINDICTA 奴隷解放の杖)とボネ・フリジアン(bonnet phrygien フリジア帽)を持つ女神が「リベルテ」(la liberté 自由)、エルキュールの左側(向かって右側)で水準器を持つ女神が「エガリテ」(平等 l'égalité)です。


(下) オギュスタン・デュプレのエルキュールをあしらった1976年の50フラン銀貨。裏面(50フランの表示がある面)は 1848年のデザインを踏襲し、オリーヴシェーヌをあしらいます。



(下) リベルテ、エルキュール、エガリテの拡大。エルキュールはネメアの獅子 (le lion de Némée, Λέων τῆς Νεμέας, LEO NEMAEUS) の革を被っています。




 エルキュール(ヘラクレス)のデザインは、ホアキン・ヒメネス (Joaquin Jimenez, 1956 - ) による2010年の100ユーロ貨、1000ユーロ貨、5000ユーロ記念貨に受け継がれています。

 ホアキン・ヒメネスによるエルキュールの記念貨



【オギュスタン・デュプレのメダイユ彫刻 「リベルタース・アメリカーナ」】

 「アメリカ建国の父」(The Founding Fathers of the United States of America) のひとりであるベンジャミン・フランクリン (Benjamin Franklin, 1706 - 1790) は、1776年から 1785年まで、アメリカの代表としてパリ郊外に滞在していました。議会の正式な要請を受けて、アメリカ独立戦争の英雄たちを記念するメダイユ制作を依頼するためにパリ造幣局を訪れていたフランクリンは、1781年10月17日の「ヨークタウンの戦い」におけるアメリカ大勝利の報を受けて、記念メダイユの制作を思いつきます。

 フランクリンのメダイユ制作は、画家エスプリ=アントワーヌ・ジブラン (Esprit-Antoine Gibelin, 1739 - 1813) とオギュスタン・デュプレに委託され、独立戦争が終結した1783年、パリ造幣局において、メダイユ「リベルタース・アメリカーナ」"LIBERTAS AMERICANA" ラテン語で「アメリカの自由」)が鋳造されました。




(上) メダイユ「リベルタース・アメリカーナ」


 独立戦争で共に戦ったフランスへの感謝を表すと同時に、旧宗主国イギリスを自力で打ち破った新興国アメリカの力と自信を高らかに宣言する「リベルタース・アメリカーナ」は、アメリカ合衆国史の記念碑的作品となりました。美術工芸品としての側面からも、「リベルタース・アメリカーナ」は高く評価され、後世のアメリカの貨幣デザインにも大きな影響を及ぼしています。


 「リベルタース・アメリカーナ」は1783年の作品ですが、オギュスタン・デュプレはこの他にも 1791年に「憲法の受容」("Acceptation de la Constitution")、1793年に「フランスの再生」("Régénération de la France")、1801年に「エジプトの解放」("Délivrance de l’Egypte") を制作しています。



【その他】

 武器作りの町サン=テティエンヌに生まれたオギュスタン・デュプレは、高名な武器彫刻師ジャック・オラニエ (Jacques Olagnier/Olanier, 1742 - 1798) の弟子であり、自身ももともと武器の彫刻師でした。カルナヴァレ美術館にはオギュスタン・デュプレがスペイン大使のために彫刻した二本の剣が収蔵されています。

 オギュスタン・デュプレは82歳のとき、オラス・ヴェルネ (Émile Jean-Horace Vernet, 1789 - 1863) の執り成しによってレジオン・ドヌール章シュヴァリエを受け、没した年である1833年にはフランス学士院会員に選ばれました。アカデミー・セルティーク (l'Académie Celtique)、現在のソシエテ・デ・ザンティケール (la Société des antiquaires de France) からは、オギュスタン・デュプレの回想録が出版されています。


 なお19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍し、数々の美しい作品で知られるメダイユ彫刻家ジョルジュ・デュプレ (Georges Dupré, 1869 - 1909) は、オギュスタン・デュプレの大甥(おおおい 兄弟の孫)です。




註1 「ル・コリゼ」(le Colisée) の原意は、フランス語でコロッセウムのことですが、「ル・コリゼ・ド・パリ」(le Colisée de Paris) は、1771年から1780年の間、カルティエ・デ・シャンゼリゼにあった複合娯楽施設を指します。

 17世紀半ば、ロンドンのテムズ河南岸に「ニュー・スプリング・ガーデンズ」(New Spring Gardens) という一種の遊園地が建設され、後に「ヴォクスホール・ガーデンズ」(Vauxhall Gardens) と呼ばれるようになって、1859年まで存続しました。「ヴォクスホール・ガーデンズ」は大規模な複合娯楽施設で、音楽や曲芸、演劇、花火、熱気球、トルコや中国など東洋風の建物、ロココ式庭園、人工の廃墟や滝、彫像、夜間のライトアップなど、あらゆる趣向でロンドン市民を楽しませました。

 パリの「ル・コリゼ」はロンドンの「ヴォクスホール・ガーデンズ」に倣って造られた娯楽施設です。1770年5月16日、オーストリアから来たマリー・アントワネットが王太子ルイ・オーギュスト、後のランスフ国王ルイ16世と結婚すると、フランス全体に祝賀のムードが高まりました。「ル・コリゼ」の建設はその前年から始まっており、王太子の成婚には間に合いませんでしたが、王太子の弟であるプロヴァンス伯、後のフランス国王ルイ18世の成婚の二日前、1771年5月22日に、「ル・コリゼ」の供用が開始されました。

 「ル・コリゼ」は四万人を収容することが可能で、ロンドンの「ヴォクスホール・ガーデンズ」と同様に様々なアトラクションでパリ市民を楽しませましたが、やがて運営経費、特にろうそく2000本が必要であった照明の費用が、事前の見積もりよりも大きいことがわかりました。完成を急いだために工事の質が悪く、頻繁な補修も必要でした。また当時シャンゼリゼは町はずれで、夜になると多数の売春婦が現れるような場所であったため、一般市民は夜に近づきたがりませんでした。1780年、「ル・コリゼ」は運営会社の破綻により閉鎖されました。


註2 「ルイ・コンヴァンシオネル」の前に流通していたルイ金貨(24リーブル貨 1786年)には、次の言葉がラテン語で刻まれています。

表(おもて)面 「神の恩寵によりフランスとナバラの王たるルイ16世」("LUD. XVI. D. G. FR. ET NAV. REX", id est "LUDOVICUS XVI DEI GRATIA FRANCIAE ET NAVARRAE REX")

裏面 「キリストは支配し、勝利し、統べ給う」("CHRS. REGN. VINC. IMPER." id est "CHRISTUS REGNAT, VINCIT, IMPERAT")



 このルイ金貨は革命前、1785年の王の勅令で定められたもので、第13代フランス貨幣彫刻師長ベンジャマン・デュヴィヴィエ (Pierre-Simon-Benjamin Duvivier, 1728 - 1819) の作品です。


 いっぽうオギュスタン・デュプレの「ルイ・コンヴァンシオネル」(1792年)には、次の言葉がフランス語で刻まれています。

表(おもて)面 「フランス人の王ルイ16世」("LOUIS XVI ROI DES FRANÇOIS")

裏面 「法の支配」("REGNE DE LA LOI")






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