ラウル・ラムルドデュ Raoul Eugène Lamourdedieu, 1877 - 1963

 ラウル・ラムルドデュ 1940年に撮影


 ラウル・ラムルドデュ (Raoul Eugène Lamourdedieu, 1877 - 1953) はフランスのメダイユ彫刻家で、丸彫り彫刻の分野でも優れた才能を発揮した多才な芸術家です。


【ラウル・ラムルドデュの経歴】

 ラウル・ラムルドデュは 1877年2月2日、フランス南西部の小さな町フォグロル(Fauguerolles アキテーヌ地域圏ロット=エ=ガロンヌ県)で生まれました。17歳の時に移り住んだボルドーで美術学校に通うかたわら木彫職人の徒弟となり、彫刻の腕を磨きました。20歳の時にボルドー市賞 (la Prix de la Ville de Bordeaux) を受賞し、その賞金によってパリの国立高等美術学校 (l'École nationale supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA) に移りました。

 パリに移ったラウル・ラムルドデュは、アレクサンドル・シャルパンティエの下で学び、メダイユ彫刻に理解を深めました。

 アレクサンドル・シャルパンティエ (Alexandre Louis Marie Charpentier, 1856 - 1909) はアール・ヌーヴォー期のフランスを代表する多才な芸術家のひとりであり、ジュール=クレマン・シャプラン (Jules-Clement Chaplain, 1839 - 1909)ルイ・オスカル・ロティ (Louis Oscar Roty, 1846 - 1911) と並んで、世紀の変わり目における最も重要なメダイユ彫刻家と見做される人物です。このころのシャルパンティエは装飾芸術家集団「ラール・ダン・トゥ」("l'Art dans Tout" フランス語で「あらゆる分野に芸術を」の意味)の中心人物として華々しい活躍を見せていました。

 ラウル・ラムルドデュは国民美術家協会 (Société Nationale des Beaux-Arts) が開催する「国民美術協会サロン展」(Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts シャン・ド・マルス展 Salon du Champs de Mars)に出展するとともに、前衛的な傾向の「サロン・ドートンヌ展」(Salon d'automne)、「アンデパンダン展」(Salon des Artistes Independants) にも参加し、活発に活動しました。後にはパリ国立高等美術学校で彫刻家の教授を務めて美術教育にも貢献し、レジオン・ドヌール章シュヴァリエを受けています。

 ラウル・ラムルドデュの作品は多数のメダイユに加え、木、石、ブロンズの彫像群、大型の戦争記念碑に及びます。ラウル・ラムルドデュは象徴性に富む女性像を得意とし、オーギュスト・ロダンに「彫刻界のピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」と評されました。




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