オルフェリナ・デ・ザルメ
l'Orphelinat des Armées





 人類史上初めて世界規模の戦争となった第一次大戦では、前代未聞の戦死者数を数え、さらに非戦闘員を巻き込んだ戦闘や爆撃によって、数多くの子どもたちが父親あるいは両親を失いました。フランスでは戦争孤児のための慈善団体設立が戦争初期から相次ぎました。フランスの各地に設立されたオルフェリナ・デ・ザルメ (l'Orphelinat des Armées 戦争孤児救護院) も、そのような慈善団体のひとつです。

 最初のオルフェリナ・デ・ザルメは、フランス南西部のアキテーヌ地域圏ジロンド県 (la Gironde) において1915年5月に設立された委員会が基になっており、ジロンド県在住の孤児を保護することを目的にしていました。

 当初は行政内部の組織であったこの委員会は、1917年2月1日以降、「ジロンド戦争孤児保護委員会」(Comité Girondin de Protection des Orphelins de l'Armée) という独立団体となりました。委員会に保護される孤児の数も、1916年5月には 1547人でしたが、1917年2月1日の時点では 3786人に増えており、翌年には5529人となりました。

 1918年1月の時点で、「ジロンド戦争孤児保護委員会」は配給委員会からの支給、アメリカの慈善団体からの送金、200名以上の賛助会員による定期的寄付、及びその他の寄付金により運営されていました。その活動は孤児を探す、衣服を支給する、初等教育を施す、職業訓練を施す等のほか、医療と衛生、法律関係の援助にも及びました。1918年夏にはジロンド県アレス (Ares) に臨海宿舎を設け、心身のケアが必要な孤児の転地療養と教育、社会訓練に活用するとともに、その費用を寄付で賄うことにより、母親たちの生活に掛かる負担を大きく軽減しました。


 ジロンドの方式に倣ったオルフェリナ・デ・ザルメ (l'Orphelinat des Armées 戦争孤児救護院) は、ジロンドの北方にあるロワール=アンフェリユール (Loire-Inferieure) 県(現在のロワール=アトランティーク Loire-Atlantique 県)や、フランス南東端のアルプ=マリティーム (les Alpes-Maritimes) 県、ノルマンディーにも設立されました。


(下) 寄付をした人に贈られたオルフェリナ・デ・ザルメのメダイユ




 オルフェリナ・デ・ザルメの活動は、フランス国内のみならず海外、とりわけアメリカで知られるようになりました。オーストラリアの鉱山王ジョン・モファット (John Moffat, 1841 - 1918) を中心とするアメリカの慈善団体が、シャヴァニアック・ラファイエット(Chavaniac-Lafayette オーヴェルニュ地域圏オート=ロワール県)にあるシャヴァニアック城 (le Chateau de Chavaniac) を1917年に買い取って、50人の孤児に初等教育を施すことができる救護院を設置しました。ちなみにシャヴァニアック城は、アメリカ独立戦争での活躍により、またフランス人権宣言の起草者としても知られるラファイエット侯爵 (Marie-Joseph Paul Yves Roch Gilbert du Motier, Marquis de La Fayette, 1757 - 1834) の生家で、現在は博物館になっています。




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