シャルル・ジャラベール Charles Jalabert, 1819 - 1901

 シャルル・ジャラベール


 シャルル・ジャラベール(Charles Jalabert, 1819 - 1901)は十九世紀のフランスで高く評価された画家のひとりです。ジャラベールの作品はルーヴル美術館やリュクサンブール美術館、生地ニームの美術館、マルセイユ美術館等、フランス国内の多数の美術館に収蔵されています。ボルティモアのウォルターズ美術館(The Walters Art Museum)にも、五点の油彩が収蔵されています。


《シャルル・ジャラベールの生涯》



(上) 「ヴィッラネッラ」(イタリアの村娘) J. ルヴァスールによるスティール・エングレーヴィング 271 x 187 mm 1876年 当店の商品です。


 シャルル・ジャラベールは、1818年12月25日、南仏プロヴァンスのニーム(Nîmes オクシタニー地域圏ガール県)に生まれました。当地の美術学校は、1834年から 1838年まで、パリから招かれた画家アレクサンドル・コラン(Alexandre-Marie Colin, 1798 - 1875)に運営が委ねられており、シャルル少年はこの学校でコランの指導を受けました。シャルルの父はシャルルに商売を覚えさせようとして少年をパリに送りましたが、パリの雇い主はシャルルの画才を見て、少年に画家になることを勧めました。




(上) Charles Jalabert, "Œpide et Antigone", 1842, Huile sur toile, 115 x 147 cm, le musée des Beaux-Arts de Marseille


 1839年、シャルルはポール・ドラロシュ(Paul Delaroche, 1797 - 1856)に弟子入りしました。しかしながらポール・ドラロシュのアトリエでは 1843年に新入生いじめのせいで一名が亡くなるという痛ましい事件があり、このためにアトリエは閉鎖されてしまいました。アトリエが閉鎖された後も、シャルル・ジャラベールとポール・ドラロシュの間には良好な師弟関係が保たれました。ポール・ドラロシュの「ナイル川に捨てられたモーセ」("Moïse exposé sur le Nil")は有名な作品ですが、この絵においてドラロシュ自身が描いたのはモーセの籠だけで、残りはすべてジャラベールの手によります。




(上) Paul Delaroche et Charles Jalabert, "Moïse exposé sur le Nil" グピルによるフォトグラヴュール 125 x 191 mm 当店の商品です。


 ポール・ドラロシュのアトリエに在籍していた 1841年に、シャルル・ジャラベールはローマ賞絵画部門で二位を獲得しています。また 1843年に開催されたニーム美術協会(Les Amis des Arts à Nîmes)の第一回展覧会では、「オイディプスとアンティゴネー」で金賞を獲得しました。しかしながらローマ賞に関しては、三度の応募に関わらず一等を獲得することはできなかったので、1843年、シャルル・ジャラベールは自費でローマに留学し、三年半の間ヴィッラ・メディチに滞在して絵画の腕を磨きました。




(上) 「目覚め」(最初の望み) ギュスターヴ・ベルティノによるスティール・エングレーヴィング 266 x 193 mm 1887年 当店の商品です。


 1847年、ローマから戻ったジャラベールは、会心の作「ガイウス・マエケナスの邸宅にて農事詩を朗読するウェルギリウス」("Virgile lisant ses géorgiques chez Mécène")をサロンに出品しました。この作品は国家によって買い上げられ、リュクサンブール美術館に展示されました。以後サロンには宗教及び歴史を主題にした作品を定期的に出品し、1863年からは肖像画家としての名声も高まって、オルレアン家をはじめとする上流階級の人々を描きました。

 芸術家が仕事に専念するには経済的安定が必要です。ジャラベールの経済的安定は、名士たちから受注する肖像画に加え、版画によってもたらされました。ポール・ドラロシュはフランス画壇において最も有力な画家のひとりでしたが、ジャラベールはドラロシュと良好な師弟関係にあったために、他の有力な画家たちとも交流することができました。パリの版元グピル社(Goupil et Cie.)の社主アドルフ・グピル(Adolphe Goupil, 1806 - 1893)はジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824 - 1904)の義父でしたが、ジェロームが義父にジャラベールを紹介したことで、ジャラベールが描く美しい作品は版画となり、画家に経済的恩恵をもたらしたのでした。




(上) ピエール=ニコラ・トゥルゲネフ(Pierre-Nicolas Tourgueneff, 1853 - 1912)とマックス・ラフェル(Max Raphel, 1863 - 1943)によるシャルル・ジャラベール像 大理石とブロンズ 1904年


 シャルル・ジャラベールは 1901年3月8日、パリで亡くなりました。生まれ故郷のニームではジャラベールの像を建てるための募金が募られ、1904年4月10日、彫刻家ピエール=ニコラ・トゥルゲネフ(Pierre-Nicolas Tourgueneff, 1853 - 1912)と建築家マックス・ラフェル(Max Raphel, 1863 - 1943)の手による大理石の胸像が、ブクリ広場(le square de la Bouquerie)の泉水前にて除幕されました。



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 シャルル・ジャラベール作 「オルフェウスの吟唱に耳を傾けるニンフたち」 "Nymphes écoutant les chants d'Orphée" 232 x 189 mm 極薄の東洋紙に刷られたフォトグラヴュール フィラデルフィア、ジョージ・バリー 1883年




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