アール・ヌーヴォー様式の典雅な作品群で知られるフランスのメダイユ彫刻家、シャルル・ピレ (Charles Philippe Germain Aristide Pillet, 1869 - 1960) が制作した初聖体のメダイユ。手前左には寛衣を着たイエズス・キリスト、右にはヴェールを被ったドレス姿の少女、少女の奥には聖母マリアが浮き彫りにされています。
キリストは後光に現れた十字架を左手で指さしながら、右手に持った聖体を少女に与えています。キリストが十字架を指さしている理由は、聖体拝領がイエズスの受難そのものに他ならないことを示すためです。
そよそ二千年前、イエズス・キリストは過ぎ越しの子羊、アグヌス・デイ(AGNUS DEI 神の子羊)として、十字架上で犠牲になり給いました。スイスの宗教改革者ツヴィングリは、エウカリスチア(eucharistia ギリシア語で「聖餐」「聖体拝領」)を象徴であると考えました。これに対してカトリック教会は、聖体拝領が単なる象徴ではなく、キリストの受難の完全な再現であると考えます。したがって、このメダイユにおいて、キリストが少女の眼を見つつ十字架を指さしているのは、「わたしはいままさにあなたのために受難する」と言っておられるのです。
キリストの御体である聖体からは、神の愛そのものである光輝が発出しています。キリスト教において、愛はしばしば光で表されます。新約聖書から引用します。
「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。(ヨハネの手紙一 2章 9 - 11節 新共同訳)
上述のように、聖体拝領は、至高の愛の業(わざ)であるイエズスの受難とまったく同一のものです。聖体拝領はイエズスの受難の完全な再現です。したがって聖体は神の愛そのものであって、そこからは愛が光となってあふれ出ているのです。
なおこのメダイユにおいて、キリストとマリアでは後光の表現が異なり、キリストの後光にのみ十字架が表されています。同様の区別は絵画や彫刻、他のメダイにおいても見られます。
フランスのアンティークメダイ。裏面の聖母の後光には十字架がありません。当店の商品。
メダイユの画面奥には聖母が立ち、聖体を受けようとする少女を両腕の中に抱き留めて、優しい視線を注いでいます。キリスト教文化圏において、聖母マリアは文字通り母のような存在です。少女の聖体拝領に聖母が付き添うことに神学的な意味は無いとしても、常に身近にいて守り、助けの手を差し伸ばしてくれる悲母(優しい母)が、最愛の娘の人生における大切な瞬間に傍らに立って付き添っていても、何の不自然さもありません。
美しいドレスを着てヴェールを被った少女は、キリストの花嫁です。少女はイエズスと聖母に見守られつつ、顔をまっすぐに挙げてイエズスの視線を捉え、愛と犠牲を受け取る厳粛な時を迎えようとしています。
上の写真は、メダイユの実物を約数十倍の面積に拡大しています。少女の顔と手、イエズス、聖母の手や、少女のドレスとヴェールなどの細部の質感が、ブロンズのわずかな凹凸のみで巧みに表現されている様子がよくわかります。作品を眺めているうちに浮き彫り彫刻であることを忘れ、生身の人々を眼前に見ていると錯覚しそうなほどの圧倒的な臨場感が、彫刻家シャルル・ピレの芸術的才能を証明しています。
メダイユの右上に、次の言葉がラテン語で刻まれています。
QUI MANDUCAT HUNC PANEM VIVET IN AETERNUM. このパンを食べる者は永遠に生きるであろう。
これはヨハネによる福音書6章58節のウルガタ訳からの引用です。この節全体は次のようになっています。"vivet" は未来形です。
Hic est panis qui de caelo descendit non sicut manducaverunt patres vestri
manna et mortui sunt qui manducat hunc panem vivet in aeternum.
ティッシェンドルフ (Constantin von Tischendorf, 1815 - 1874) の校訂によるギリシア語原文と、新共同訳を示します。
οὗτός ἐστιν ὁ ἄρτος ὁ ἐξ οὐρανοῦ καταβάς, οὐ καθὼς ἔφαγον οἱ
πατέρες καὶ ἀπέθανον· ὁ τρώγων τοῦτον τὸν ἄρτον ζήσει εἰς τὸν αἰῶνα.
これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。
上の聖句は、イエズスがカファルナウムの会堂で教えておられたときに、ご自分の身体に言及して語られた言葉です。実体変化後の聖体はそもそもパンではありませんが、13世紀の神学者トマス・アクィナスは、聖体を表す詩的な表現として、「パニス・アンゲリクス」(PANIS ANGELICUS 天使のパン)という言葉を使っています。
メダイユの下部には、ワインの原料である葡萄と種なしパンの原料である小麦が浮き彫りにされています。メダイユ左上の隅に、シャルル・ピレのサイン
(Ch. Pillet) が刻まれています。
彫刻家シャルル・ピレの作品は典雅なアール・ヌーヴォー様式で、いずれもたいへん美しいですが、とりわけこのメダイユはキリスト教二千年の伝統の上に実現した作品であり、目に快いデザインであるのみならず、深い精神性を感じさせる真の芸術品です。シャルル・ピレの作品群のなかでも、高く評価されるべき一点です。
本品はおよそ百年前に制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず保存状態はたいへん良好です。細部まで完全な状態で残っており、特筆すべき問題は何もありません。