光溢れる柔らかな画面の母子像。フランス人画家シャルル・ジャラベール(Charles Jalabert, 1819 - 1901)が 1872年のサロン展に出品した油彩画を、やはりフランス人のグラヴール(仏 graveur 版画家)、ギュスターヴ・ベルティノ(Gustave
Bertinot, 1822 - 1888)がグラヴュール・シュル・アシエ(仏 gravure sur acier スティール・エングレーヴィング)としています。十九世紀イタリアを舞台にした風俗画ですが、女性と幼子のポーズは聖母子を思い起こさせます。
(上) Charles Jalabert, "Le Réveil", 1863, Huile sur toile, 33.1 x 23.3 cm, The Walters Art Museum, Baltimore
原画を描いたシャルル・ジャラベールは、師ポール・ドラロシュと同様に、ルネサンス美術を継承する静謐な画風により、高雅でありつつも明るく親しみやすい画風が特徴です。ジャラベールは日常生活を描く風俗画を得意としましたが、画面に漂う空気は決して卑俗にならず、静かな清澄さを漲らせています。ルネサンス絵画の空気を十九世紀の風俗画にそのまま移し替えたかのような端正な美は、「目覚め」("Le Réveil" 本品)や「ヴィッラネッラ」("Villanella")のようなイタリア風の女性像とならんで、ジャラベールがローマ留学で手に入れた成果です。
上の写真は 1872年のサロン展出品作に先立ち、1863年に制作された一回り小さな作品で、ボルティモアのウォルターズ美術館に収蔵されています。1863年の作品と
1872年の作品を比べると、子を抱く母の右手の形と衣の一部、背景及び周囲に描かれた物の細部に小さな違いがありますが、母子の全体的な姿勢は同じです。ただし母の表情を見ると、1863年の作品では微笑みに幸福があふれていますが、1872年の作品では微かな憂いが見て取れます。母の心に影を差す憂いは、母に顔を寄せる幼子の微笑みが無心であるだけに、いっそう目を惹きます。
本品は画家自身と同時代の母子を日常生活のなかに描いています。それゆえ形式の上では風俗画ですが、内容に関しては聖母子を描いた宗教画であって、風俗画の形式を借りた聖母子像となっています。
聖母を描く宗教画は「喜びの聖母」を描く作品と「悲しみの聖母」を描く作品に分かれます。母子の幸せな日常を描く本品は、一見したところ、喜びの聖母を描く作品に分類できそうに思えます。しかしながら
1872年のサロン出展作では聖母の表情に一抹の憂いが感じられ、「喜びの聖母」と「悲しみの聖母」を一枚の画面に描いた稀な作例であることが分かります。
中世以来「七つ」とされてきた聖母の悲しみの数は、正典福音書のなかで聖母マリアが大きな悲しみに遭う場面が七回あることによります。七回のうち最初の悲しみは、マリアとヨセフが長男として生まれた新生児イエスを神に奉献するためにエルサレム神殿を訪れた際、預言者シメオンから告げられた言葉によります。すなわちシメオンはマリアに対して、「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―
あなた自身も剣で心を刺し貫かれます ― 多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(「ルカによる福音書」二章三十四・三十五節 新共同訳)と語ったのですが、この預言は恐ろしい形で実現してしまいました。
この日マリアがイエスをエルサレム神殿に連れて行ったのは、長男として生まれた新生児イエスを神に奉献するためです。神に奉献するとは、本来であれば燔祭で焼かれる贖罪のいけにえとして差し出すことですが、実際には山鳩ひとつがいまたは家鳩の雛二羽が代わりに捧げられていました。マリアが「汝の魂も剣にて刺し貫かるべし」という言葉を預言者から聞かされたのが、奉献の儀式のために神殿を訪れた際であったことは象徴的です。なぜならイエスの場合、いけにえは山鳩ひとつがいまたは家鳩の雛二羽で代用されずに、結局イエス自身がすべての罪びとの罪を贖う神の子羊として十字架に架かり、救世を達成することになるからです。
メシア(救い主)が王として凱旋するのではなく、十字架上に刑死することで救世を達成するという救済の在り方は、全ての人の予想を裏切りました。あまりにも想定外のことであったので、弟子たちでさえもイエスのもとから逃げ去ってしまいました。ジャラベールの作品において幼子イエスを抱く聖母も、この子にどのような未来が待っているのか、具体的にはわからずにいます。しかしながらエルサレム神殿でシメオンから告げられた言葉は母の心から片時も去らず、朝の光の中で幼子に頬を寄せる幸せな瞬間にも、母の表情に微かな翳りをもたらしています。
十九世紀のインタリオは、画面の左下に原画の作者名、右下に版の作者名を刻みます。原画の作者名に続く "PINXT" はラテン語ピーンクシット(PINXIT)の略記で、「描いた」という意味です。版の作者名に続く
"SCULPT" はラテン語スクルプシット(SCULPSIT)の略記で、「彫った」という意味です。本品はシャルル・ジャラベールの原画に基づくギュスターヴ・ベルティノの作品ですので、版画の左下にジャラベールの名前と
"PINXT" の表記が、右下にベルティノの名前と "SCULPT" の表記が、それぞれ刻まれています。
ギュスターヴ・ベルティノは版画の主要部分を全面的にグラヴュール(仏 gravure エングレーヴィング)で制作しています。オー・フォルト(仏
eau forte エッチング)が使われているのは、背景の壁、幼子のベッドの上部から垂れる紐、聖母の胸あたりに見える胴衣の縁と肩の紐、胴衣の袖の縁取りのみです。聖母の胴衣の縁と肩の紐、袖の縁取りは、原画では黄色い部分に当たります。
グラヴュールは精密な描写に適しており、オー・フォルトに比べると、画面がいくぶん硬い雰囲気になりがちです。制版に要する技術と手間の上でも、グラヴュールの制作はオー・フォルトに比べて格段に困難です。したがって本品のように柔らかな雰囲気の絵をインタリオに移すのであれば、オー・フォルトを使うのが普通です。しかしながらギュスターヴ・ベルティノは聖母子像をほぼ完全にグラヴュールのみで制作し、それでいて硬さを感じさせません。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。ギュスターヴ・ベルティノは聖母子を描く際に輪郭線の使用を極力控え、「ビュラン(彫刻刀)によるスフマート(ぼかし)」という名人芸を多用していることが分かります。背景の壁はオー・フォルトによりますが、一辺
0.5ミリメートルほどの小さな正方形には、正方形数個あたり一個の割合で中央に微小な点を打ち、明度を調節しています。同じ技法はイエスと聖母の肌、聖母の衣などのグラヴュール部分にも使われています。
本品は百四十年以上前のアンティーク美術品ですが、良質の中性紙に刷られているために、劣化は一切ありません。アカデミー絵画の本流に位置するシャルル・ジャラベールの原画は、ルネサンス美術の正統的画風を引き継ぎつつ、十九世紀フランスならではの優れた写実性により、あたかも身近な人物のように親しみやすい母子像を描いています。版画家ギュスターヴ・ベルティノは、卓越したビュラン使いにより、グラヴュールの画面に柔らかな光を溢れさせています。シャルル・ジャラベールとギュスターヴ・ベルティノという優れた芸術家の組み合わせは、人知を絶する救済の経綸を描きつつ、宗教画特有の堅苦しさを全く感じさせずに、本品を万人に愛される美しい風俗版画としています。
版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸
40 x 31センチメートルの木製額に、青色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装代金は
24,800円です。
額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤、緑、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。
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