スティール・エングレーヴィング 「ホーン岬」 1840年代

Cape Horn


画面サイズ  縦 101 mm 横 152 mm

イギリス  1840年代



 南アメリカ大陸の最南端とその南に浮かぶフエゴ島の間にマゼラン海峡があります。ポルトガル人貴族マゼランは西回りで香料諸島(モルッカ諸島)に達するという大胆なプランを携えて1519年9月20日にスペインを出発し、1520年10月21日、ついにこの水路を発見しました。それから100年近くのあいだ、マゼラン海峡は大西洋から太平洋につながる唯一の水路であると思われていました。当時の人々は マゼラン海峡の南にあるフエゴ島と南極大陸が地続きになっていると考えていたのです。
 この見方を最初に揺るがしたのはイギリス人ドレイクでした。ドレイクは1578年、マゼラン海峡を通過した時点で嵐に遭ってフエゴ島に退避、フエゴ島が島であるという確信を持ちます。しかし彼の説は支持されずに、徐々に忘れられていきました。

 その40年後、スペインの支配下にあったマゼラン海峡を回避して香料諸島に到達しようとしたオランダの商人ル・メールは、フエゴ島の南にある南アメリカ最南端の小島を迂回して太平洋に到達することに成功します。小島はル・メールの夏の別荘があったオランダ本国の村、ホーンの名前を取って、ホーン岬と名付けられました。


 地図をご覧になれば分かりますが、フエゴ島の東側は地形が緩やかです。また気候も比較的穏やかです。これに対してフエゴ島の西側はアンデス山脈の延長にあたり、スコットランドのヘブリデーズ諸島やノルウェーのフィヨルドの海岸線と同様に高い山々の間に海が入り込んでいます。標高2000メートルを超える山々が、海からいきなりそびえているのです。海岸線は高さ数百メートルの垂直の断崖、あるいは海面付近が波に削られて海に覆い被さるような絶壁になっており、陸地に近付くことができるのは海鳥だけです。気候も荒天の日が多く、これまでに大勢の船乗りがこの海で命を落としました。船が遭難して救命ボートに乗り移っても上陸可能な地点などほとんどなく、荒れ狂う波に呑み込まれてしまうのです。

 現在でもホーン岬にはごく小さな灯台があるだけで、風と潮流が非常に強いために、船舶にとって世界でも有数の難所となっています。


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