テオドラ

Theodora


フォトグラヴュア  1890年代

原画の作者 ジャン=ジョゼフ・ベンジャマン=コンスタン (Jean-Joseph Benjamin-Constant, 1845 - 1902)

画面サイズ  縦 192 mm  横 105 mm



≪原画の作者について≫

 ベンジャマン=コンスタン (J.-J. Benjamin-Constant, 1845 - 1902) はパリに生まれた画家です。アレクサンドル・カバネル (Alexandre Cabanel, 1823 - 1889) のもとで絵画を学び、1869年のサロン展に初出展した作品≪ハムレットと父王≫(Hamlet et le Roi)で一躍注目を集めました。前掲作品や ≪サムソンとデリラ≫(1871年)をはじめとする物語に取材した作品、モロッコで製作した素描に基づく作品群、また≪ヴィクトリア女王≫(1900年)をはじめとする優れた肖像画でも知られ、フランス国内外で数々の賞を受けています。


≪この版画のテーマについて≫

 ローマ帝国は395年に東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅びますが、東ローマ帝国はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を首都として1453年まで存続します。
 東ローマ帝国はローマ帝国でありながらラテン語ではなくギリシア語を使用し、皇帝が教会の首長を兼ねる独特の文化を生みました。この独自性のために、東ローマ帝国はビザンティン帝国とも呼ばれます。

 ビザンティン帝国初期における最大の皇帝がユスティニアヌス1世(Justinianus I, 482-565)で、ユスティニアヌス大帝とも呼ばれています。ユスティニアヌス大帝は農民の子として生まれましたが、豚飼いから身を起こして皇帝位に上り詰めた叔父ユスティヌス1世の養子となって、527年に皇帝に即位しました。読み書きができなかったユスティヌス1世と違ってユスティニアヌスには神学や法学の高い教養があり、ビザンティン帝国の版図拡大、ローマ法大全の編纂、アヤ・ソフィアの建設といった数々の偉業を成し遂げました。

 このユスティニアヌス大帝が即位する前に出会って恋に落ちた美女が妃テオドラ(Theodora)です。テオドラは都コンスタンティノープルの競馬場(戦車競技を行なう円形競技場)で競技の合間に余興の見世物を行なう熊使いの娘として生まれ、少女の頃から姉とともに劇場の踊り子をしていました。全裸に近い姿で横たわり、下腹部に載せた麦粒をガチョウについばませて≪レダ≫ を演じるといった見世物で生活費を稼いでいたようです。
 テオドラは容姿が美しかっただけでなく、踊り子を辞めてのちにアレクサンドリアで回心を経験して以来、優れた徳を備え、ニカの乱と呼ばれる大規模な反乱が起こった時には首都脱出も考えた大帝を説得して反乱鎮圧に当たり、さらに神学者でもあった大帝と互角に議論をできるだけの教養の持ち主でもありました。大帝ユスティニアヌスと妃テオドラの姿は、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のモザイク画でも目にすることができます。


参考 サン・ヴィターレ聖堂のモザイク画  (上)ユスティニアヌスと従者たち (下)テオドラと従者たち






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